の背番号7。母国ポルトガルでもルイス・フィーゴより背番号7を継承。「7 RONALDO」とマーキングされたサッカーユニフォームを着用し、マドリーで、そしてポルトガル代表で誰よりも貪欲にゴールを狙い続ける。
2003年にUEFA選出の「今後注目すべき若手選手7人」に名を連ね、その5年後、23才の若さでバロンドールとFIFA最優秀選手賞をダブル受賞。世界最高ドリブラーの圧倒的攻撃力は、驚異的なスピードと超絶テクニック、類い稀なフィジカルとタフなメンタルが源。世界中を見渡しても、彼ほどすべてにおいて一級品のFWは見当たらない。
長身にも関わらず足元は非常に器用。変幻自在のシザーズ、エラシコ、ラボーナはクリスティアーノ・ロナウドの真骨頂。予測不可能な足技と俊足を生かした高速ドリブルは、DFを抜く、崩すためのテクニックというより「芸術」と表現したほうが纏を得ている。相手ゴールを脅かす打点の高いヘッド、左右どちらからでも狙えるシュート力も見逃せないところ。無回転のブレ球を操るフリーキックは、高速ドリブルと合わせて彼の代名詞である。
本名はクリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロOIH(Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro OIH)。1985年2月5日生まれ。出身はポルトガル南西1,000㎞の大西洋上に浮かぶマデイラ諸島の首都フンシャルのサン・アントニオ。サッカーを本格的にはじめたのは9才の頃で、地元の小さなサッカークラブ、CFアンドリーニャスに入団すると、その存在はすぐに島中の知るところとなりマデイラのマリティモとCDナシオナルが争奪戦を繰り広げたという。10才になった1995年にナシオナル下部組織へ移り、翌1996年には緑フープのサッカーユニフォームで知られる名門スポルティング・リスボンのセレクションをパス。ポルトガル本土へ進出を果たした。
ルイス・フィーゴほか、あまたの名プレーヤーを輩出してきた新天地リスボン下部組織で過ごした時間は、その後のクリスティアーノ・ロナウドのプレースタイルを決定づける密度の濃いものとなる。名アカデミーの燻陶を受けた天才ドリブラーは、2001年にスポルティング・リスボンと契約しプロのキャリアをスタート。2003年に移籍金23億円でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。ベッカムが抜けるなど過渡期にあったユナイテッド復権に貢献し、プレミアリーグ3連覇を筆頭にUEFAチャンピオンズリーグ、クラブワールドカップほか国内外の数々のタイトルを獲得に寄与。自身もバロンドール、FIFA最優秀選手賞に輝き世界の頂点に登り詰めている。
ユナイテッドで6年間プレーした後、2009年に史上最高額となる移籍金130億円で新天地レアル・マドリードへ。初年度の背番号は9だったが、欧州サッカー2010夏のメルカートでラウール・ゴンザレスがシャルケに移籍。彼の背番号7を受け継ぎCR7が2010/2011シーズンに1年ぶりに復活を果たしている。新指揮官ジョゼ・モウリーニョからチーム唯一の守備免除特権を与えられ、持ち前の攻撃力をいかんなく発揮し驚異のハイペースでゴールネットを揺らす。10月23日のラシン戦で自身初の1試合4ゴールをマーク。リーガ51試合目となった2011年2月6日の第22節vsレアル・ソシエダ戦20分と42分に立て続けにゴールを決め、リーグ通算50ゴールに到達。レジェンドのプスカシュの54試合、ディ・ステファノの56試合を凌ぐクラブ最速記録を達成した。同シーズンにリーガエスパニョーラ通算40得点の大記録を樹立。ウーゴ・サンチェスの38得点超えを果たし、リーガシーズン最多得点記録を塗り替えた。
2011/2012シーズンも絶好調を維持。2011年11月2日に行われた欧州CLグループリーグDvsリヨン戦でレアルマドリードにおける公式戦通算100ゴールにわずか105試合で到達。1試合平均得点は0.95点というハイアベレージを記録し、マドリー栄光の歴史にその名を刻み込んだのだ。100ゴール中、特に忘れられないゴールとして、2011年4月20日のクアトロクラシコ第2戦コパ・デル・レイ決勝vsバルセロナ戦103分に放った決勝ヘッド弾を挙げている。
ポルトガル代表としてはU-15、U-16、U-17など各年代で異才を放ち、プレミアデビュー4日後の2003年8月20日に国際親善試合vsカザフスタン戦でA代表デビュー。後半開始からルイ・コスタに代わり出場しピッチに登場した。この時、クリスティアーノ・ロナウドは背番号16のポルトガル代表25アウェイ半袖ユニフォームを着用している。UEFA欧州選手権2004でユーロデビュー。大会開幕戦となった6月12日のグループA第1戦vsギリシャ戦は後半開始から出場すると、ロスタイムに入った93分に豪快ヘッドを決め代表初得点をマーク。6試合出場2得点を挙げ、クリスティアーノ・ロナウドはポルトガル代表の準優勝に貢献。得意のドリブルで数々のチャンスを生み出す19才の新星はポルトガル中を熱狂の渦に巻き込んだのである。
ワールドカップ初出場は4位躍進を果たした2006ドイツ大会。欧州大陸予選で7ゴールを挙げ、ポルトガルの主力メンバーとして人生初のWCの大舞台6試合出場1得点を挙げた。WC初ゴールは2006年6月17日のグループリーグ第2戦vsイラン戦80分にPKで決めている。2度目のワールドカップとなった2010南アフリカ大会では、チームのモチベーターたるゲームキャプテンとして挑むが、全4試合に出場してゴールネットを揺らしたのはわずか1回のみという結果に終わった。ユーロ2012予選ではグループリーグまさかの2位となり、ポルトガル代表は本大会進出をかけボスニア・ヘルツェゴビナ代表とプレーオフへ。2011年11月15日の2ndレグでは、リーガの好調ぶりを物語るかのように先制弾とチーム3点目を決めドブレーテ。ポルトガル5大会連続6回目のユーロ出場の原動力となった。
●2002/2003シーズンスポルティング・リスボン所属。背番号28。31試合出場5得点(リーグ戦25試合出場3得点ほか)。2002年8月に17才6ヶ月でトップチーム昇格。プレシーズンマッチvsベティス戦70分から途中出場し初出場&初ゴールを非公式ながら記録。8月14日のUEFAチャンピオンズリーグ予備予選3回戦1stレグvsインテル戦58分から途中出場し公式戦デビュー。スーペルリーガデビューは68分から途中出場した9月28日の第5節vsブラガ戦。10月7日の第6節vsモレイレンセ戦に先発フル出場し、得意のドリブル突破から33分に公式戦初ゴールを挙げクラブ最年少得点記録を更新した。終了間際の90分にはこの日2点目となるゴールを挙げリスボンに3-0の勝利をもたらす。10月26日の第8節vsボアビスタ戦89分に決勝ゴールを決め2-1の勝利に貢献。デビューシーズンはリーグ戦25試合中10試合スタメン起用された。
U-21ポルトガル代表に招集され、2003年6月にフランスで開催されたトゥーロン国際大会に出場。メッシやルーニーが出場した同大会決勝ではイタリアを下しポルトガルを優勝に導き、同世代では格の違いを見せつけた。
 スポルティング 02-03ホームユニフォーム
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 ポルトガル代表 02ホームユニフォーム
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●2003/2004シーズンマンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。40試合出場6得点(プレミアリーグ29試合出場4得点、UEFAチャンピオンズリーグ5試合出場ほか)。世界最高プレーヤーの原石、クリスティアーノ・ロナウドをめぐりビッグクラブが激突。2003年8月6日に行われたプレシーズンマッチ、マンチェスター・ユナイテッド戦が彼を欧州サッカーの表舞台へ導く運命の一戦となる。親善試合ゆえガチンコ勝負ではないものの、ユナイテッド守備陣を手玉にとったスピードと足技は、以前から興味を持っていたティーンエイジャー獲得を決断させるのに十分なパフォーマンス。試合後、マンチェスター・ユナイテッドは欧州サッカー2003夏の移籍市場において、トゥーロン国際大会直後にアクションを起こしたリヴァプール先行中のクリスティアーノ・ロナウド獲得レースに本格参戦を果たした。ここに、レッドデビルズとレッズのプレミア場外戦が勃発。ビッグクラブのプライドをかけた熾烈な獲得レースが予想されたが、マンチェスター・ユナイテッドは18才の若者に破格の移籍金1224万ポンド(約23億円)を提示し短期決戦に持ち込む。運命の一戦からわずか6日後の8月12日に電撃戦を制したユナイテッドは、クラブ史上初のポルトガル人プレーヤーと推定年俸約3億円の5年契約を交わした。ドーバー海峡を渡りオールド・トラッフォードへやって来たクリスティアーノ・ロナウドに用意された背番号。それは、ジョージ・ベスト、エリック・カントナ、デイビッド・ベッカムら一時代を築きあげたプレーヤーと同じナンバー7。ベッカム移籍直後に空位となったマンUスタープレーヤーの系譜たる栄光の背番号の継承者に指名されたのは、ポルトガルの新鋭にファーガソンが寄せる期待の大きさといえよう。2003年8月17日のプレミアリーグ開幕戦vsボルトン戦61分に万雷の拍手に迎えられ勢いよくピッチに飛び出すと、挨拶代わりとばかりに得意のドリブルとフェイントでボルトンを切り崩し、膠着気味のゲームを活性化。オールド・トラッフォードの大観衆を大いに沸かせ、18才6ヶ月のプレミアデビュー戦を4-0の勝利で飾る。デビュー戦で彼が着用したのはvodafoneロゴの02-04ホーム長袖ユニフォームだった。8月27日の第3節vsウォルバーハンプトン戦でスタメン初出場。11月1日の第11節vsポーツマス戦でFKからプレミア初得点を記録。2004年3月20日の第29節vsトッテナム戦、4月10日の第32節vsバーミンガム・シティ戦、プレミアリーグ最終戦となった5月15日の第38節vsアストンヴィラ戦でもゴールを挙げた。5月22日のFAカップ決勝vsミルウォール戦前半終了間際に先制弾をヘッドで叩き込み3-0の勝利に貢献。キャリア初タイトルはユナイテッドにとって1999年以来となるこのFAカップであった。
UEFAチャンピオンズリーグは2003年10月1日のグループステージ第2節vsシュトゥットガルト戦に出場。UCL本戦初出場を果たす。決勝トーナメント1回戦でモウリーニョ率いるポルトに敗れるまで、クリスティアーノ・ロナウドはフル出場2試合を含めUCL2003/2004シーズン5試合に出場した。
プレミアデビュー4日後の2003年8月20日に国際親善試合vsカザフスタン戦に招集。ルイ・コスタに代わり後半開始から出場し、スコラーリ指揮下のポルトガルA代表デビューを果す。この時、クリスティアーノ・ロナウドは背番号16のポルトガル代表25アウェイ半袖ユニフォームを着用している。
2004年6月12日から7月4日に母国開催のEURO2004に招集。大会開幕戦となった6月12日のグループA第1戦vsギリシャ戦後半開始から出場。ロスタイムに入った93分に豪快ヘッドを決め代表初得点。1-2と敗れたギリシャ戦で一矢を報いるゴールを決める。2-0で勝利した6月16日の第2戦vsロシア戦は後半途中出場。ルイ・コスタのゴールをクロスからアシスト!! この試合以降、クリスティアーノ・ロナウドは全試合スタメンに名を連ねることとなった。6月30日の準決勝vsオランダ戦でデコのCKをヘッドで合わせ先制ゴール。直後にユニを脱ぐパフォーマンスによりイエローカードを受けるオマケがついている。2-1でオランダを下したポルトガルは欧州選手権ファイナルに進出。開幕戦同一カードとなった7月4日のユーロ2004決勝vsギリシャ戦は0-1で敗れ優勝を逃したが、得意のドリブルで数々のチャンスを生み出し、全6試合出場2得点を挙げたが19才の新星にポルトガル中が熱狂したのだった。2004年8月13日から29日に行われたアテネオリンピックに招集。2試合出場1得点を挙げるがポルトガル代表はグループリーグ敗退。
 マンチェスターユナイテッド 03-04UCLホームユニフォーム
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 マンチェスターユナイテッド 03-04ホーム長袖ユニフォーム
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 ポルトガル代表 04ホームユニフォーム
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●2004/2005シーズンマンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。50試合出場9得点(プレミアリーグ33試合出場5得点、UEFAチャンピオンズリーグ8試合出場ほか)。ブラヴォー賞受賞。出場試合が50試合に到達したユナイテッド2年目。局面を打開してもボールを離さずチャンスを潰す、攻撃の流れを断ってしまう。そんな光景が見受けられたシーズンだった。2004年12月4日のプレミアリーグ第16節vsサウサンプトン戦にフル出場し今季14試合目にして初ゴールを記録。2005年1月22日の第24節vsアストンヴィラ戦、2月1日の第25節vsアーセナル戦と2戦連発。アーセナル戦では移籍後初の1試合2ゴールをマーク。3月19日の第30節vsフラム戦で決めた先制点が決勝弾となり1-0の勝利に貢献した。2年連続ファイナルに駒を進めた5月21日のFAカップ決勝vsアーセナルはPK戦4-5で敗れ連覇ならず。ユナイテッドは2004/2005シーズン無冠に終わる。クリスティアーノ・ロナウドはイタリアのスポーツ専門誌グエリン・スポルティーヴォ主催の、ヨーロッパ最優秀若手サッカー選手に贈られるブラヴォー賞を受賞する。
 マンチェスター・ユナイテッド 04-06ホームユニフォーム
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 マンチェスター・ユナイテッド 03-05アウェイユニフォーム
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 マンチェスター・ユナイテッド 03-05サードユニフォーム
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●2005/2006シーズンマンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。47試合出場12得点(プレミアリーグ33試合出場9得点、UEFAチャンピオンズリーグ8試合出場1得点ほか)。FIFPro最優秀若手選手賞授賞。クリスティアーノ・ロナウド覚醒前夜となる2005/2006シーズンは、シーズン通算ゴール数が12となり初の2桁得点を記録する。今季初ゴールは10月29日のプレミアリーグ第11節vsミドルスブラ戦90分に決めたヘディングシュート。このゴールはユナイテッドにとってプレミア通算1000ゴール目のメモリアル弾となる。12月31日の第20節vsボルトン戦で2ゴールを記録。2006年1月14日の第22節vsマンチェスター・シティ戦66分にプレミア初のレッドカードで退場。出場停止明けの2月4日の第25節vsフラム戦、2月11日の第26節vsポーツマス戦で2試合連続2得点。3月4日の第28節vsウィガン戦73分に同点ゴールを挙げた。2006年2月26日のカーリングカップ決勝vsウィガン・アスレティック戦59分にゴールを決め4-0の勝利に貢献し優勝。ユナイテッドは1992年以来となる同大会のタイトルを獲得した。プレミアはチェルシーに連覇されクラブ史上初3シーズン連続V逸。
2005年8月9日のUEFAチャンピオンズリーグ予備予選3回戦vsデブレツェニ戦にゴールネットを揺らしUCL初得点をマーク。本戦ではグループステージ全6試合に出場。無得点に終わっている。
2006年6月9日から7月9日にドイツで開催された2006FIFAワールドカップに招集。欧州大陸予選で7ゴールを挙げ、ポルトガルの主力メンバーに成長したクリスティアーノ・ロナウド人生初のWCが始まる。6月17日のグループリーグ第2戦vsイラン戦80分にPKを決めワールド杯初ゴール。PK戦にもつれ込んだ7月1日の準々決勝vsイングランド戦で5人目のキッカーとして登場。ベスト4をかけたこのPKを冷静に沈めセミファイナルに進出を自らの手で決る。7月5日の準決勝vsフランス戦、7月8日の3位決定戦vsドイツ戦に敗れはしたものの、ポルトガル代表はワールド杯4位の好成績を収め、クリスティアーノ・ロナウドは6試合出場1得点の結果を残した。
 マンチェスター・ユナイテッド 05-06UCLホームユニフォーム
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 マンチェスター・ユナイテッド 05-06アウェイユニフォーム
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 ポルトガル代表 06ホームユニフォーム
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●2006/2007シーズンマンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。53試合出場23得点(プレミアリーグ34試合出場17得点、UEFAチャンピオンズリーグ11試合出場3得点ほか)。PFA年間最優秀選手賞、PFA年間最優秀若手選手賞、FWA年間最優秀選手賞授賞。ルーニー、そしてテベスと破壊力抜群の攻撃陣を形成し34試合出場したリーグ戦で得点ランキング2位となる17ゴールを記録。エゴを捨て去ることが自身の評価に繋がることを学んだ証しとして、アシストは14を数えユナイテッド4年目に看板選手へと変貌を遂げる。5-1で大勝した2006年8月20日のリーグ戦第1節vsフラム戦19分にゴールを決め、プレミアリーグ開幕戦初ゴールを記録。11月にプレミアリーグ月間MVPを獲得すると、翌12月も破竹の勢いでゴールを重ね6試合7得点。2か月連続で月間MVP獲得し、ロビー・ファウラー、ベルカンプに続くプレミア10年ぶり3人目の快挙を達成した。ニューカッスルを2-0で下した10月1日のプレミアリーグ第7節以降、首位を守り抜いたユナイテッドは2007年5月5日の第36節で2試合を残しチェルシーのリーグ3連覇を阻み3シーズンぶりにプレミア制覇。クリスティアーノ・ロナウドは初めてプレミアの優勝カップを手にした。4月13日にはユナイテッドと2012年まで契約延長に合意。
UEFAチャンピオンズリーグでは7-1で大勝した2007年4月10日の準々決勝2ndレグvsローマ戦で1試合2得点を挙げUCL本戦初ゴールを記録。4月24日の準決勝1stレグvsミラン戦で先制点をヘッドで決めUCLで2戦連発。しかし、カカ擁するミランに敗れベスト4で敗退。
代表戦では2007年2月7日の国際親善試合vsブラジル代表戦で、初めてポルトガル代表のキャプテンマークを巻く。
 マンチェスター・ユナイテッド 06-07ホームユニフォーム
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 マンチェスター・ユナイテッド 06-07アウェイユニフォーム
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●2007/2008シーズンマンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。48試合出場42得点(プレミアリーグ34試合出場31得点、UEFAチャンピオンズリーグ11試合出場8得点ほか)。PFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞、ゴールデンブーツ受賞、プレミアリーグ得点王、UEFAチャンピオンズリーグ得点王獲得。ハードワークを厭わないルーニとテベスのサポートを受け、得点力をさらに増したクリスティアーノ・ロナウドは、マンチェスター・ユナイテッド所属中トップスコアを叩きだし欧州フットボールシーンを席巻する。2007年8月5日のコミュニティー・シールドはPK戦の末、0-3でチェルシーを破り優勝。4年ぶりにオールド・トラッフォードへトロフィーを持ち帰った。8月15日のプレミアリーグ第2節vsポーツマス戦85分に一発レッドで退場となり3試合出場停止に。9月29日の第8節vsバーミンガム・シティ戦51分に今季プレミア初ゴールを決めると、続く10月6日の第9節vsウィガン戦で今季初の1試合2得点を決め4-0快勝に貢献。12月に入ると12月1日の第15節vsフラム戦、12月23日の第18節vsエヴァートン戦の1試合2得点含め6試合で7得点をマーク!! ここから一気にゴール数を増やしていく。2008年1月12日のプレミアリーグ第22節vsニューカッスル戦でキャリア初のハットトリック達成。2-0でポーツマスを下した1月30日の第24節と、同じく2-0でボルトンを下した3月19日の第29節では全ゴールを決める活躍をした。なお、ボルトン戦はマンUのゲームキャプテンを初めて任されている。圧巻だったのは4-0でアストンヴィラに圧勝した3月29日の第32節。17分にCKのこぼれ球をヒールキックで先制点を決めると、ルーニの2ゴール、テベスの1ゴールをアシストし全ゴールに絡む素晴らしいパフォーマンスを発揮。リーグ戦終盤、チェルシーとのプレミア優勝争いは5月11日の最終節にもつれ込み、ユナイテッドはウィガンと対戦する。この試合でCR7は先制PKを決め2-0の勝利に貢献。マンUはプレミアリーグ2連覇を果たし完全復活の狼煙を上げたのだった。プレミアリーグ2007/2008シーズン通算ゴール数を最終節で31としたクリスティアーノ・ロナウドは、アデバヨールに7点差をつけキャリア初の得点王を獲得。チームのレジェンド、ジョージ・ベストが保持するユナイテッド最多得点記録を更新するとともに、リーグ最多得点記録に並びイングランドサッカー史にその名を刻み込んだ。2008年4月にPFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞2年連続ダブル授賞の快挙も達成。
UEFAチャンピオンズリーグも絶好調で、2007年9月19日のグループステージ第1節vsリスボン戦62分にダイビングヘッドで先制ゴール! 古巣リスボンを1-0で下す。10月23日の第3節vsディナモ・キエフ戦で2度ゴールネットを揺らしUCL初の1試合2得点を記録。ユナイテッドはグループステージを首位で通過し、CR7は5試合出場5得点を挙げた。2008年3月4日の決勝トーナメント1回戦2ndレグvsリヨン戦で決勝点となる先制ゴールを挙げると、4月1日の準々決勝1stレグvsローマ戦39分に電光石火のジャンピングヘッドを叩き込む・バルセロナを撃破した準決勝までに大会通算7得点をマーク。プレミア頂上決戦となったCLファイナルの大舞台を迎えた。5月21日にモスクワのルジニキスタジアムで行われたチャンピオンズリーグ2008決勝vsチェルシー戦26分に右クロスをヘッドで合わせUCL8点目をマークしたが45分にチェルシーが同点に追いつく。その後スコアは延長戦でも動かず雨中の激闘はPK戦へ。3人目のキッカーを任されたクリスティアーノ・ロナウド、ワンフェイント入れるもGKにセーブされまさかの失敗。4人連続成功したチェルシーは5人目テリーが決めれば優勝という場面で痛恨のミスキック。PK戦はサドンデスに突入した。勝負がついたのは7人目。守護神ファンデルサールがアネルカのPKをセーブしマンUは1999年以来9年ぶりとなる3度目の欧州制覇。クリスティアーノ・ロナウドは初めてビッグイヤーを手にし、UCL通算8得点で初の得点王に輝いた。
ルイス・フィーゴの後継者として背番号7のサッカーユニフォームを受け継ぎ、UEFA欧州選手権2008予選で8ゴールを挙げポルトガル代表を牽引。2008年6月7日から29日にスイスとオーストリア共催のユーロ2008に招集。6月11日のグループA第2節vsチェコ代表戦64分に初めてゴールネットを揺らすが、このゴールが今大会唯一の得点。6月19日の準々決勝vsドイツ代表戦に2-3で敗れ、優勝候補最右翼の下馬評むなしくポルトガル代表はベスト8で姿を消した。
 マンチェスター・ユナイテッド 07-09UCLホームユニフォーム
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 ポルトガル代表 08ホームユニフォーム
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 ポルトガル代表 08アウェイユニフォーム
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●2008/2009シーズンマンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。47試合出場23得点(プレミアリーグ33試合出場18得点、UEFAチャンピオンズリーグ12試合出場4得点ほか)。バロンドール、FIFA最優秀選手賞受賞。欧州サッカー2008夏の移籍市場にて、2年前からクリスティアーノ・ロナウドに触手を伸ばしていたレアルマドリード移籍の噂が一大騒動に発展。レアル移籍をファーガソンに懇願するなど揉めに揉めた末、CR7ユナイテッド残留が決まった。結果的にマンUラストイヤーとなる2008/2009シーズンは、3冠、そしてバロンドール&FIFA年間最優秀選手賞ダブル受賞の偉業達成をモチベートに戦い抜く。2008年8月10日のコミュニティーシールドでポーツマスをPK戦で破り優勝。11月15日のプレミアリーグ第13節vsストークシティ戦4分と89分にゴールを挙げ2得点をマーク。このうち1点目は、自身のマンチェスター・ユナイテッド通算100ゴールのメモリアル弾。12月11日から21日に日本で行われたFIFAクラブワールドカップ全2試合に出場。12月18日の準決勝vsガンバ大阪戦46分にゴールを記録。12月21日の決勝vsリガ・デ・キト戦73分にルーニーのゴールをアシストし1-0の勝利に貢献。CWCの頂点に立ったユナイテッドは2度目の世界制覇を果たした。
2007/2008シーズンのプレミアとチャンピオンズリーグの2冠、さらにはトップスコアラーの実績が決定打となり、「子供の頃から夢見ていた」というフランスのサッカー専門誌『フランス・フットボール』選出の欧州サッカー最高の栄誉、バロンドールを12月2日に受賞。446ポイントを獲得し、2位メッシに165ポイント差をつけてる圧勝劇で欧州No.1プレーヤーの座に就く。翌2009年1月11日には、FIFA年間最優秀選手賞も手に入れサッカー界における最も権威あるタイトルをダブル受賞。背番号7のマンチェスター・ユナイテッドユニフォームを着た歴代レジェンドに肩を並べた。
3月2日のカーリングカップ決勝vsトッテナム戦では、PK戦の末にスパーズを下しユナイテッド3度目の優勝。4月5日のプレミアリーグ第31節vsアストンヴィラ戦14分と80分に2ゴールを記録。151回目のマンチェスターダービーとなった5月10日の第36節vsマンチェスター・シティ戦18分に先制ゴールをクリスティアーノ・ロナウドが決め2-0の勝利に貢献。5月16日の第34節vsアーセナル戦はスコアレスドローに終わったが、勝ち点1を積み上げ最終節直前にプレミア優勝を決めチームはプレミア3連覇達成。CR7のリーグ戦通算18ゴールは、チェルシーのアネルカ19ゴールに次ぐ得点ランキング2位。
昨シーズン8得点から今季は4得点にゴール数が半減したUEFAチャンピオンズリーグ。グループステージではなんと無得点だったが、決勝Tに入ると見事息を吹き返し4ゴールを叩きだす。今季UCL初ゴールは2009年3月11日の決勝トーナメント1回戦2ndレグvsインテル戦49分。チーム2点目のゴールを決め2-0でインテルを下す。4月15日の準々決勝1stレグvsポルト戦では4分に放った弾丸ミドルが決勝点となり1-0でポルトを退けた。このシュートは翌2009年のプスカシュ賞に選出されるほど衝撃的一撃である。5月5日の準決勝2ndレグvsアーセナル戦で2ゴールを記録し3-1でガナーズをねじ伏せ、ローマのスタジオ・オリンピコで行われるUCLファイナルへ。マンU最後の試合となった5月27日のチャンピオンズリーグ2009決勝vsバルセロナ戦は2-0で完敗。クリロナ3冠の夢破れる。
 マンチェスター・ユナイテッド 08-09UCLアウェイユニフォーム
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 マンチェスター・ユナイテッド 08-09UCLサードユニフォーム
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●2009/2010シーズンレアル・マドリード所属。背番号9。35試合出場33得点(リーグ戦29試合出場26得点、UEFAチャンピオンズリーグ6試合出場7得点ほか)。プスカシュ賞授賞。欧州サッカー2009夏の移籍市場が開くと、3年ぶりにマドリー会長に復帰したフロレンティーノ・ペレスの新プロジェクト、新銀河系軍団最重要メンバーとして6月26日に白い巨人へ移籍。「人生最大の目標」「少年の頃からの憧れ」と自ら語るレアル・マドリードメンバーとなる夢がついに叶った。『ジダン・アンド・パボネス』をコンセプトに、ジダンらスター選手とカンテラ出身のパボンら若手との融合を図った第1次銀河系。これに対して第2次銀河系のコンセプトは『タレンティザシオン』。ワールドクラスのプレーヤーを可能な限りピッチに送り込むというシンプルかつ、野望に満ちた発想だ。新銀河系のアイコンたるクリスティアーノ・ロナウドをサンティアゴ・ベルナベウへ呼び寄せるため、マドリーはユナイテッドの要求を飲み移籍金8000万ポンド(約132億円)を一括払い。2001夏のメルカートでジダン獲得に要した移籍金レコード、7696万ユーロ(約104億円)を軽く超える史上最高額の移籍金は、今後よほどのサプライズや世界経済の好転など好条件が重ならない限り破られることはないだろう。参考までに、夏のメルカートでレアルは史上空前の約350億円を投資。狂気の補強にあって1/3の資金が彼を引き抜くために使われた。世界を騒然とさせた一連の移籍劇は、7月6日にサンティアゴ・ベルナベウで行われた入団発表でクライマックスに達する。クリスティアーノ・ロナウドのユニフォーム姿を一目見ようと、スタジアムに押し寄せたマドリディスタは実に8万人。神様・マラドーナのナポリ移籍時に記録した7万5000人を抜くワールドレコードを樹立する。8月に入ると、彼の両足に9000万ポンドの保険をクラブが掛けたことがわかり、3度、世界をあっと言わせたのだった。
クリスティアーノ・ロナウド初のレアルマドリードユニフォームは、アディダス2009強豪チーム向けテンプレート『Campeon(カンペオン)』を採用した09/10ユニ。マーキングされた背番号9はキャリア初のナンバーで、1950年代にUEFAチャンピオンズカップ5連覇を達成した黄金期のレジェンド、アルフレッド・ディ・ステファノが着けていた背番号である。レアル移籍後初ゴールは7月28日のピースカップvsリガ・デ・キト戦。リーガエスパニョーラデビューとなった8月29日の第1節vsデポルティーボ・ラコルーニャ戦では、ラウールが得たPKを決めリーガ初ゴールを記録した。9月12日の第2節vsエスパニョール戦で試合終了直前の90分にチーム3点目のゴールを決めた。5-0で快勝した9月20日の第3節vsシェレス戦ではミドルとヘッドでリーガ初の1試合2得点。9月23日の第4節vsビジャレアル戦開始2分にハーフライン付近から快速を飛ばしたドリブル突破からゴールネットにミドルを突き刺し開幕から4試合連続ゴールを記録。9月30日のUCLマルセイユ戦で捻挫した右足首が10月10日のワールドカップ予選で悪化し、11月25日のUCLチューリッヒ戦まで戦線離脱を余儀なくされてしまう。クリスティアーノ・ロナウドにとって初のクラシコ、11月29日サンティアゴ・ベルナベウで行われたリーガ第12節vsバルセロナ戦は0-1で敗れノーゴール。12月5日の第13節vsアルメリア戦でゴールを決めるがイエロー2枚で退場処分に。2011年1月24日の第19節vsマラガ戦35分、39分に立て続けにゴールネットを揺らしたものの、後半にヒジ打ちで一発レッドで退場となった。出場停止明け2月13日の第22節vsシェレス戦、3月25日の第28節vsヘタフェ戦、5月2日の第35節vsオサスナ戦で1試合2得点をマーク。レアルとバルサが同勝ち点で並びカンプ・ノウで開催された4月10日の第31節、伝統のクラシコは2-0で完封負け。首位陥落&リーガ連勝が12でストップしてしまう。クリスティアーノ・ロナウドは好機を決められず、またもやクラシコ無得点だった。
4月に入ると1枚85ユーロ(約10800円)のマーキング入りレプリカユニフォームが、マドリード市内だけで120万枚、約130億円売り上げたことが発表された。これは、ベッカムが保持していたクラブレコード100万枚を楽勝で上回る新記録。本拠地のレプリカユニ売上げだけで、クラブは移籍金を回収してしまった計算になる。
5月5日の第36節vsマジョルカ戦では圧巻のゴールショーを演じリーガ初のハットトリック達成。5-1でビルバオを粉砕した5月9日の第37節では、22分に今季リーガ26点目となる先制PKを決めゴールラッシュの口火を切った。怪我とレッドガードによる出場停止でリーグ戦29試合出場にとどまったが、リーガ1年目に26ゴールを挙げ得点ランキングはメッシ34ゴール、イグアイン27ゴールに次ぐ3位。マドリディスタが大きな期待を寄せた新銀河系は、勝ち点96というクラブ新記録を樹立するもバルセロナに勝ち点3及ばずリーガ2位であった。
UEFAチャンピオンズリーグでは2009年9月15日のグループステージ第1節vsチューリッヒ戦、9月30日の第2節vsマルセイユ戦、12月8日の第6節vsマルセイユ戦でドブレーテ(1試合2得点)を記録。4試合に出場したグループステージで3度ドブレーテを達成し7ゴールをマークした。決勝トーナメント1回戦vsリヨン戦は、敵地で開催された2010年2月15日の1stレグを1-0で落としてしまう。後がないレアル。サンティアゴ・ベルナベウで行われた3月10日の2ndレグを1-1で引き分けるという失態を演じ、6シーズン連続ベスト16敗退。コパ・デル・レイは4回戦で2部所属ADアルコルコンに足元をすくわれ、早々と姿を消していたため4シーズンぶりの無冠に終わった。
2010年6月11日から7月11日まで南アフリカで開催された2010FIFAワールドカップに招集。ブラジル、コートジボワールが同居する死の組グループG初戦、6月15日のvsコートジボワール戦でクリスティアーノ・ロナウドはゴールポスト直撃弾を放つがスコアレスドロー。7-0で大勝した6月21日の第2戦vs北朝鮮戦87分にチーム6点目を決め2010ワールドカップ初ゴールを記録する。6月25日の大一番、第3戦vsブラジル戦を0-0で引き分けブラジルに次ぐ2位で決勝トーナメント進出を決めた。6月29日の決勝トーナメント1回戦ではスペインと対戦。大会屈指の好カードはポルトガル代表が0-1で敗れ大会から姿を消す。全4試合にフル出場したCR7。21本シュートを放つもゴールネットを揺らしたのは僅か1回。不完全燃焼に終わる。
 レアル・マドリード 09-10ホームユニフォーム
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 ポルトガル代表 2010ホームユニフォーム
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 ポルトガル代表 2010アウェイユニフォーム
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●2010/2011シーズンレアル・マドリード所属。背番号7。55試合出場53得点(リーガエスパニョーラ34試合出場40得点、UEFAチャンピオンズリーグ12試合出場6得点ほか)。ピーチ賞、ゴールデンブーツ受賞。リーガエスパニョーラ得点王獲得。夏のメルカートでスペインの至宝ラウール・ゴンザレスがシャルケ04に移籍。クリスティアーノ・ロナウドは念願の背番号7を得、1年ぶりにCR7が復活を遂げた。新指揮官に現代サッカーのカリスマ、ジョゼ・モウリーニョを招聘して再起を計るレアルマドリード2010/2011シーズンにおいて、クリロナは唯一、守備免除の特権を与えられ、持ち前の攻撃力をいかんなく発揮。かつてない驚異のハイペースでゴールネットを揺らす。
9月18日のリーガエスパニョーラ第3節vsレアル・ソシエダ戦75分にフリーキックから勝ち越し弾を決め今季初ゴール!! 6-1でラシン・サンタンデールを粉砕した10月23日の第8節ではキャリア初の1試合4ゴールを記録。5発でビルバオを捻じ伏せた11月20日の第12節ではドブレーテを達成し好調を維持。そして迎えた今シーズン初のクラシコ、カンプ・ノウで行われた11月29日の第13節vsバルセロナ戦は、圧倒的にボールを支配され5-0の大敗を喫する。クリスティアーノ・ロナウド3度目のクラシコ、またしても無得点に終わった。歴史的敗戦直後の12月4日に行われた第14節vsバレンシア戦65分に0-0の均衡を破る先制点、86分に貴重な追加点を挙げ2-0の勝利に貢献。年が変わり2011年1月3日の第17節vsヘタフェ戦で長期離脱から復活したカカと今シーズン初競演!! 1月9日の第18節vsビジャレアル戦でハットトリックを達成した。リーガ51試合目となった2月6日の第22節vsレアル・ソシエダ戦20分と42分に立て続けにゴールを決め、リーグ通算50ゴールに到達。プスカシュの54試合、ディ・ステファノの56試合を凌ぐクラブ最速記録を樹立した。7-0でマラガに大勝した3月3日の第26節でハットトリック達成。クアトロクラシコことクラシコ4連戦初戦、1-1で引き分けた4月16日の第32節vsバルセロナ戦82分にPKを決め、待望のクラシコ初ゴールを決めたのだった。
クアトロクラシコ第2戦、4月21日のコパ・デル・レイ2011ファイナル(スペイン国王杯決勝)vsバルセロナ戦は激しい攻防となり0-0で延長に突入。延長前半にバルサのゴールをこじ開けたマドリーが1-0で逃げ切り18年ぶりに優勝! クリスティアーノ・ロナウドはレアル移籍後、初タイトルを獲得している。
6-2の大差をつけた5月7日のリーガ第35節vsセビージャ戦、4-0で快勝した5月10日の第36節vsヘタフェ戦で2試合連続ハットを記録。5月15日の第37節vsビジャレアル戦で2点を挙げ今季リーガ38点目をマーク。ウーゴ・サンチェス、サーラの持つリーガ最多得点記録に並ぶ。5月21日の最終節(第38節)はアルメリアに8-1の歴史的大勝。この試合でクリスティアーノ・ロナウドは4分にリーグ戦今季39点目をゴールに押し込みリーガエスパニョーラ最多得点レコード樹立!! さらに76分、チーム7点目を決め前人未到の40ゴールの大台に載せることに成功。リーガ得点ランキング2位のメッシに9ゴールの大差をつけブッチギリで得点王に輝いている。
4年連続ベスト16止まりだったUEFAチャンピオンズリーグ。2010/2011シーズンはついにその呪縛から解き放たれ決戦トーナメント1回戦突破を果たす。2010年9月15日のグループステージ第1節vsアヤックス戦、9月28日の第2節vsオセール戦は無得点に終わるが、10月19日の第3節vsミラン戦13分にFKから先制点を挙げCR7はUCL今シーズン初得点を記録。直後に電光石火のドリブルでサイドを切り崩しクロスからエジルのゴールをアシスト。レアルの2点すべてに絡む活躍をした。11月23日の第5節vsアヤックス戦でレアルマドリードメンバーは今季初となるブルーのサードユニフォームを着てアヤックスを4-0で圧倒。クリロナは2ゴールを奪いレアル54試合目に節目の50ゴールを達成した。12月8日の最終戦vsオセール戦で1得点1アシストをマーク。UCLグループステージ6試合で4得点を挙げた。決戦トーナメント1回戦では、昨シーズン辛酸をなめたリヨンを撃破。4-0でトッテナムを粉砕した4月5日の準々決勝1stレグ87分にカカのパスを受けたクリスティアーノ・ロナウドのボレー炸裂。チーム4点目となるダメ押しゴールを決めスパーズの戦意喪失さる。今季2度目のUCL用サードユニフォームで挑んだ4月13日の準々決勝2ndレグvsトッテナム戦50分に決めた30メートルの先制ミドルが決勝点となり0-1で勝利。レアルはベスト4へ駒を進めた。準決勝の相手は宿敵バルセロナ。サンティアゴ・ベルナベウでのクアトロクラシコ第3戦、4月27日に行われたセミファイナル1stレグはメッシの2発により0-2で完敗。5月3日のクアトロクラシコ第4戦、準決勝2ndレグは1-1のドロー。CR7のUEFAチャンピオンズリーグ2010/2011シーズンはここで幕を下ろす。
 レアル・マドリード 10-11ホームユニフォーム
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 レアル・マドリード 10-11アウェイユニフォーム
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 レアル・マドリード 10-11UCLサードユニフォーム
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●2011/2012シーズンレアル・マドリード所属。背番号7。バルセロナと世界最高峰の戦いを制しリーガのタイトルを奪還を狙うマドリー。今シーズン初の公式戦、スペインスーパーカップはいきなりのクラシコ。UCL準決勝以来3ヶ月ぶりのバルセロナとの対戦となった。2011年8月14日に本拠地でバルサを迎え撃った1stレグは2-2のドロー。8月17日の2ndレグ20分に、ベンゼマのシュートをクリスティアーノ・ロナウドがコースを変えスコアを1-1とする同点ゴール!! その後、両チーム1点ずつを加えたが、メッシに3点目を決められスーパーカップ奪取に失敗した。
スペイン選手会のストライキによりリーガエスパニョーラ第1節はキャンセルされ、実質的開幕戦となった8月28日の第2節で全身黒の11-12アウェイユニフォームを着てサラゴサを圧倒。6-0で大勝する。この試合でクリスティアーノ・ロナウドは24分に先制点、71分にクロスに合わせチーム4点目、86分にカカのアシストを受けチーム6点目を決め、マドリー移籍後通算9回目のハットトリック達成した。この試合の1点目はマドリディスタとして通算100ゴール目となる節目のゴールである。9月24日の第6節vsバジェカーノ戦で、再びハットトリック達成。10月22日の第9節vsマラガ戦では敵地で23分、28分、38分と15分間に立て続けに3度ゴールネットを揺らしゴールマシンと化す。
グループDに入り、アヤックス、リヨン、ディナモ・ザグレブと対戦することになったUEFAチャンピオンズリーグ2011/2011シーズン。9月27日のグループステージ第2節vsアヤックス戦26分に、カカ、エジル、ベンゼマとの見事なコンビネーションからクリスティアーノ・ロナウドが先制弾を叩き込み3-0勝利の口火を切った。11月2日の第4節は試合巧者のリヨンとスタッド・ゲルランで対戦。24分にゴール正面で得たFKをドライブシュートを放ち先制。69分には自ら得たPKをゴールど真ん中に叩き込んでドブレーテを記録した。
 レアル・マドリード 11-12ホームユニフォーム
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 レアル・マドリード 11-12アウェイユニフォーム
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 レアル・マドリード 11-12UCLサードユニフォーム
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