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岡崎慎司ユニフォーム特集(Okazaki Shinji football shirts) 

岡崎慎司。シュツットガルトユニフォームの背番号31。日本代表ユニフォームの背番号9。1986年4月16日生まれ。兵庫県宝塚市出身。ポジションはシュツットガルトでは左サイドハーフ、日本代表ではフォワード。


シュトゥットガルト11-12ホームユニフォーム31岡崎慎司
シュツットガルト11/12ホームユニフォーム

日本代表2012ホームユニフォーム
日本代表2012ホームユニフォーム


愛読書は『武士道』。座右の銘はご存知「一生ダイビングヘッド」で、名前の代わりに「ダイビングヘッド」と書かれたプラシャツを高校時代から着ていたという話はあまりにも有名。2009年6月6日、2010ワールドカップ南アフリカ行きを敵地タシケントで決めたアジア地区最終予選ウズベキスタン戦の決勝ヘッド、そして2011年9月6、同じくタシケントで行われたワールドカップ2014ブラジル大会アジア3次予選第2戦vsウズベキスタン戦60分のダイビングヘッドによる同点弾は、まさに岡崎慎司を地で行くゴール。「ボレー禁止。ゴロでもダイビングヘッド」の勢いで小学生のころから叩き込まれた賜物である。


●清水エスパルス(Shimizu S-Pulse)
滝川第二高校卒業後、2005年に清水エスパルスに入団。無名の存在からフル代表のエースへ急成長を遂げた岡崎慎司の武器。それはディフェンスをぶち抜くスプリント能力やパワフルなポストプレー、華麗なステップを踏むテクニックではなく、スペースへの絶妙なタイミングの飛び出し&天才的なクロスへの飛び込みだ。ゴールマウスに向けられた思考と集中力はハンパなく、パスコースとマーカーのポジショニングから「ここしかない!」というスペースを瞬時に分析。ダイアゴナルなムーブメントと鋭い出足で敵の裏を突き、ワンタッチでシュートに持ち込んでみせる。中でもニアサイドは最も得意とするエリア。

彼のプレーを支えるのは、わずかなスペースでも強引に割って入ることができる体幹の強さ。DFと競り合いにも強く、ボディーバランスを崩してもリスタートが早いのは、清水入団後に陸上競技の専門家からランニング技術を吸収した成果。スペースを狙う瞬間の鋭い出足も、この走法改造により手に入れたものである。

2008年8月8日から8月24日に開催された北京オリンピックでは全3試合に出場。同年9月29日にA代表初選出され、10月9日の国際親善試合UAE戦でA代表デビューを果たす。2009年1月20日、アジアカップ予選のイエメン戦で代表初ゴールを挙げると、岡崎の勢い止まらず2009年1年間で国際Aマッチ15ゴールを記録。IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)により、この年の世界得点王に認定された。

2010年6月24日に行われたFIFAワールドカップ南アフリカ大会グループリーグvsデンマーク戦では、87分にゴールを決めW杯初ゴールを記録。帰国後、10月8日に行われた国際親善試合アルゼンチン戦19分に先制弾を放ち、アルゼンチン撃破という歴史的勝利の立役者となる。2011年1月7日~1月29日に開催された2011アジアカップに召集され6試合3得点。グループリーグvsサウジアラビア戦では代表3度目となるハットトリックを達成し、日本代表4度目のアジア制覇に貢献する。


●シュツットガルト(VfB Stuttgart 1893 e.V.)
アジアカップ制覇直後の2011年1月31日に清水エスパルスからドイツ1部シュツットガルトへ移籍。主に左サイドハーフとしてブンデスリーガ2010/2011シーズン後半戦14試合中12試合に出場した。ドイツにおける岡崎慎司の変化著しく、持ち前のハードワークはそのままに、ドリブル突破で敵を揺さぶったり、低い位置でボールを受け攻撃の組み立に絡んだりするシーンが増加。得意とする裏へ飛び出すプレーが陰を潜めたのは、右サイドがスペースを狙うチーム戦術以上に北京オリンピック、ワールドカップ、アジアカップを経験して世界と戦うには個の力で状況を打開できるフットボーラーへ進化する必要を痛感したからだ。新機軸構築を目指す一方で、ストライカーたる根幹を貫くべく繰り返し最前線に侵入を試み、リーグ戦終盤の5月7日に行われた第33節vsハノーファー戦で、降格危機にあったチームのブンデス残留を決定付ける移籍後初得点をマーク。続く5月14日の最終節vsバイエルン戦でもゴールを記録し、移籍初年度わずか2ゴールながら数字以上のインパクトを残した。

10ゴールを目標に掲げた2011/2012シーズンは更に己に変化を課す。序盤は前年同スタイルを踏襲。シャルケと対戦した8月6日の開幕戦は途中出場ながらゴールネットを揺らし好スタートを切るが、ゴールへの強いこだわりが原因でシーズン途中にスタメン落ち。これを機に得点こそ我が道、得点というという考えをを修正し新たな進化をめざしシフトチェンジを敢行した。攻守切り替えの意識をより高め、ピッチを激しく往来。攻めては敵の引き付ける黒子的な役回りやフリーランニングを意図的に行うなど、チームに不足しがちなパートを積極的にこなし始める。常に全体のことを考えながら、ボール奪取とともに敵陣へ猛ダッシュ。味方に有利な状況を作る中でダイアゴナルへ走り込み、手繰り寄せたチャンスを逃さずゴールを強襲。フィニッシャーとしての力も発揮していくのだった。チーム内の誰よりもよく走り、歪んだバランスの修正役を担いながら浮上するストライカーとしての底流。タフな環境の異国の地に身を置き、化学変化を起こしつつ新たな到達点を見据えて岡崎慎司は全力疾走を続ける。


岡崎慎司 基本情報
本名
岡崎慎司
欧文
Shinji Okazaki
愛称
オカ、オカちゃん
ポジション
FW、MF
背番号
シュツットガルト:31 日本代表:9
生年月日
1986年4月16日
国籍
日本
出身地
兵庫県宝塚市
身長
174㎝
体重
76㎏
契約
2014年7月
移籍金
ゼロ円
年棒
推定130万ユーロ(約1億4500万円)
プロデビュー
2005年8月8日:ヤマザキナビスコカップvs浦和
代表デビュー
2008年10月9日:国際親善試合vsUAE戦
公式ブログ
http://ameblo.jp/okazaki-shinji/
ファンレター送り先
VfB Stuttgart Marketing GmbH Carl Benz Center Mercedesstraße 73 B 70372 Stuttgart GERMANY




シーズン
所属クラブ
クラブ個人成績
背番号
2005
清水エスパルス(Jリーグ)
5試合出場無得点
23
2006
清水エスパルス(Jリーグ)
12試合出場無得点
23
2007
清水エスパルス(Jリーグ)
25試合出場5得点
23
2008
清水エスパルス(Jリーグ)
34試合出場11得点
23
2009
清水エスパルス(Jリーグ)
41試合出場17得点
23
2010
清水エスパルス(Jリーグ)
37試合出場16得点
23
2010/2011
シュツットガルト(ブンデスリーガ)
14試合出場2得点
31
2011/2012
シュツットガルト(ブンデスリーガ)

31




タイトル
インターナショナル
AFCアジアカップ2011
2011年




海外日本人選手ユニフォーム
▲シュツットガルトユニフォーム特設コーナー(岡崎マーキング入りユニ取扱い)▲



日本代表2012ユニフォームバナー
▲日本代表ユニフォーム特設コーナー(岡崎慎司マーキング対応ユニ取扱い)▲




岡崎慎司ユニフォームギャラリー
ギャラリー掲載中のユニは、岡崎慎司がプロのキャリアをスタートしてから現在に至るまで着用したモデルです。
掲載中の現行モデル通販は当サイト別館「シュツットガルトユニフォーム」「日本代表ユニフォーム」特設ページでご案内中。
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シュツットガルト10-11ホームユニフォーム31岡崎慎司
シュツットガルト10-11ホーム
31 岡崎慎司

シュツットガルト10-11アウェイユニフォーム31岡崎慎司
シュツットガルト10-11アウェイ
31 岡崎慎司

シュツットガルト10-11サードユニフォーム31岡崎慎司
シュツットガルト10-11サード
31 岡崎慎司

シュツットガルト10-11ホームユニフォーム31岡崎慎司
シュツットガルト10-11サード
31 岡崎慎司 ヨーロッパリーグ

シュトゥットガルト11-12ホームユニフォーム31岡崎慎司
シュツットガルト11-12ホーム
31 岡崎慎司


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日本代表08ホームユニフォーム
日本代表08ホーム

日本代表08アウェイユニフォーム
日本代表08アウェイ

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日本代表2010アウェイユニフォーム
日本代表2010アウェイ

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日本代表2012ホーム

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[ 2011/06/06 00:05 ] 岡崎慎司 | TB(0) | CM(0)

長友佑都ユニフォーム特集(インテル)Internazionale Milano 

長友佑都。インテルユニフォームの背番号55、日本代表ユニフォームの背番号5。世界一のサイドバックを目標に掲げ、2010年夏にFC東京からセリエAチェゼーナへ移籍。半年後にインテルへ電撃移籍し、一気に世界最高峰のクラブへ到達した。ネッラズーロのユニフォームを着るのは長友佑都が初めての日本人である。


インテル11-12ホームユニフォーム55長友佑都
インテル11-12ホームユニフォーム
55 Nagatomo セリエA

インテル11-12ホームユニフォーム55長友佑都
インテル11-12ホームユニフォーム
55 Nagatomo チャンピオンズリーグ

インテル11-12アウェイユニフォーム
インテル11-12
アウェイユニフォーム


スピードを生かしたオーバーラップ、上下運動を何度繰り返しても落ちないアジリティ、そして運動量で左サイドを制圧。セリエAトップクラスの矢のようなスピード&底無しのスタミナがストロングポイントだ。全速力で疾走し、最前線に駆け上がったかと思えば、あっという間に帰陣しアタッカーを激しくチェイス。2011アジアカップ決勝では、日本代表トップとなる走行距離15.47kmを記録したダイナモである。170cmしかない長友佑都と欧州プレーヤーの身長差は歴然。しかし、体格差をカバーして有り余る鍛え上げたフィジカル、90分間ファイトできるハート、球際の激しさを持ち合わせ、大男たち相手に一歩もひけをとらない。もともと右利きだが左足の技術も高く、精度の高い左右両足のクロスからチャンスを演出する。

1986年9月12日生まれ。愛媛県西条市出身。本格的にサッカーを始めたのは、西条の神拝サッカースクールに入団した小3のとき。すぐに頭角を表し、地元では名の知れた存在となる。無尽蔵のスタミナの基礎が築かれたのは西条北中時代。吐こうが何しようがダッシュとランニングを繰り返し、徹底的に体を苛め抜いた。トップ下でプレーした中3の県大会では3位に入り、大会ベストイレブンに選出されたものの、高校から声はかからず。一般入試で同世代のエリートが全国から集う強豪・東福岡高校に進んだ。東福岡で無名同然の長友佑都。レギュラーの座を掴むため、筋トレや走り込みなど毎日自主練に取り組みストロングポイントを強化。その努力実り、スポーツ推薦入学のライバルを押し退け、ボランチのレギュラーとして高3の全国高校サッカー選手権出場を果たした。しかし、Jからオファーはなく、指定校推薦で明治大学へ進むことになった。


明治大学(Meiji University)
ボランチからサイドバックへコンバートされたのは、2005年の明治大学入学直後の5月。椎間板ヘルニアによる長期離脱を経て、トップチームに復帰した2006年8月から長友佑都の快進撃は始まる。スタメン起用された関東大学リーグで頭角を表し、2006年度の全日本学選抜に選出。2007年6月にU-23日本代表に初招集。北京五輪2次予選vsマレーシア戦に右サイドバックとして出場し、北京五輪メンバー入りの道を切り開いた。2007年8月8日~18日にバンコクで開催された夏季ユニバーシアードに招集。第81回関東大学リーグを制した明大優勝メンバーに名を連ね、ベストイレブンに選出。驚くべきスピードで成長曲線を描き、大学サッカー界を代表するサイドバックへと変貌を遂げた。

2007年5月2日にJFA・Jリーグ特別指定選手に承認されれ、明大サッカー部に所属しながらFC東京の練習に参加。7月8日に背番号38のFC東京ユニフォームを与えられナビスコカップ準々決勝vsマリノス戦に途中出場。公式戦デビューを飾った。12月19日、2008シーズンよりFC東京加入が内定。2008年1月に明大サッカー部を退部。FC東京と3年間の正式契約を結んだ。


FC東京(F.C. Tokyo)
FC東京入団後、右サイドバックから左サイドバックへコンバートされ初年度からレギュラーに定着。3月8日の開幕戦vsヴィッセル神戸戦でJリーグデビューを飾る。5月3日の大宮戦でJ初得点を記録し、5月24日のコートジボワール戦に日本代表08ホームユニフォームを着てA代表デビュー。サイドバックへコンバートされ3年、左サイドバックにいたってはコンバート後たった5ヶ月でフル代表へ上りつめた。8月8日に始まった北京オリンピックvsアメリカ戦、オランダ戦の2試合に先発フル出場。シリアと対戦した11月13日のキリンチャレンジカップでは、フル代表初ゴールとなる先制ミドルを叩き込む。2009シーズンもクラブ、日本代表の主力を担いJリーグベストイレブンを受賞。そして、驚くべき早さでキャリアを駆け上がるワールドカップイヤーを迎える。2010年6月11日~7月11日に開催されたワールドカップ南アフリカ大会は、グループリーグ3試合と決勝トーナメント1回戦の全4試合にフル出場し日本代表ベスト16進出に貢献。初戦のカメルーン戦では両チーム最高速度となる時速30.16kmを叩き出し、世界トップクラスのスプリント能力を証明した。


チェゼーナ(AC Cesena)
WC直後の7月14日、2年前から長友佑都に注目していたというイタリアのチェゼーナへ、2010年7月15日~2011年6月30日までレンタル移籍が決定。8月28日にローマと対戦したセリエA2010/2011シーズン開幕戦で欧州デビュー。11月21日のパレルモ戦でセリエA初アシストをマーク。クリスマス休暇まで全16試合連続フル出場。欧州5大リーグの中で適応がもっとも難しいと言われるセリエAに見事順応してみせた。2011年1月7日~29日までカタールで開催されたアジアカップに招集。全6試合にフル出場し再三にわたり左サイドを破りチャンスを作る。試合中に左MFへポジションを上げた決勝のオーストラリア戦では、延長後半4分に左サイドを突破。絶妙のクロスを李忠成に供給し、決勝ボレーをアシスト。日本代表4度目のアジア制覇に貢献しSBとしての評価を更に高めた。


インテル(FC Internazionale Milano)
2011年1月29日、チェゼーナが移籍金170万ユーロ(約2億円)で長友佑都を完全移籍で獲得。イタリア各紙がそう報じた2日後の1月31日、午後7時に設定された欧州サッカー2011冬のメルカート締切り直前3分前にチェゼーナからインテルへレンタル移籍が決定する。インテルデビュー戦は2011年2月6日にジュゼッペ・メアッツァで行なわれたセリエA第24節vsローマ戦。75分にスナイデルと交代でピッチに入り、ネッラズーロの10-11ホームユニフォームを着て15分間プレー。19日の第26節カリアリ戦で先発フル出場。3月6日の第28節vsジェノア戦84分にセリエA初得点を決め、直後に堂々のおじぎパフォーマンスをしてみせた。9日後のUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグvsバイエルン・ミュンヘン戦に途中交代で出場し欧州CLデビュー。内田篤人が所属するシャルケと対戦した準々決勝2ndレグにフル出場。両チーム最高走行距離11.53㎞を記録。5月22日のリーグ戦最終節vsカターニア戦62分にゴールネットを揺らし今季2点目をマーク。再びお辞儀パフォーマンスを披露した。3-1快勝となったこの試合で、イタリア紙ガゼッタ・デロ・スポルトは、長友佑都にチーム最高となる7.5のレイティングをつけている。10/11シーズン最終戦となった5月29日のコッパイタリア2011決勝vsパレルモ戦に右SBで先発フル出場。安定したプレーで3-1の勝利に貢献し、プロのキャリア初となるタイトルを獲得。

7月1日、推定移籍金600万ユーロ(約7億円)で長友佑都はインテルに完全移籍。7月30日のプレシーズンマッチvsセルティック戦で右肩を脱臼したが、驚異の回復力で8月末のテストマッチで戦列復帰。ガスペリーニ体制となった2011/2012シーズンは、新システム3-4-3のMFとして気を吐くものの、リーグ戦3試合で1分2敗とチームは低迷。本拠地で格下のトラブゾンスポールを迎えた9月14日のCL開幕戦に0-1で敗れるなど、攻撃的スリーバック導入は完全に失敗。インテルは大混乱に陥った。9月24日の第5節vsボローニャ戦からラニエリが新指揮官に就任。システムを従来の4-4-2に戻し建て直しを計る。ボローニャ戦に右SBで先発フル出場。豊富な運動量で1-3の今季初勝利に貢献した。故障中のマイコンが戻ると定位置の左SBへ戻り先発フル出場を重ね、上昇気流にのったチームと共同歩調をとるように彼のパフォーマンスも向上していった。ジュゼッペ・メアッツァへ来て1年足らず。すでに名門クラブの不可欠な存在となり、インテルの看板となった両サイドバックの攻撃参加の一翼を担う長友佑都。まだまだ上を狙い続ける男は、戦術眼と技術をイタリアで吸収し、世界No.1サイドバックという到達点に一歩一歩近づきつつある。


長友佑都 基本情報
本名長友佑都
欧文Yuto Nagatomo
愛称ユウト、ナガ、ゴリラ、モトリーノ
ポジションDF
背番号55
生年月日1986年9月12日
国籍日本
出身地愛媛県西条市
身長170㎝
体重68kg
契約2016年6月30日(インテル)
移籍金600万ユーロ(約7億200万円:推定)
年棒200万ユーロ(2億3400万円:推定)
プロデビュー2008年3月8日 Jリーグ vsヴィッセル神戸
代表デビュー2008年5月24日 キリンカップ vsコートジボワール
公式ブログhttp://ameblo.jp/guapoblog/theme-10019835508.html



シーズン所属クラブリーグ背番号
2008FC東京Jリーグ
2009FC東京Jリーグ
2010FC東京Jリーグ
2010/2011チェゼーナセリエA
2010/2011インテルセリエA55
2011/2012インテルセリエA55



タイトル
FC東京
ヤマザキナビスコカップ2009年
インテル
コッパイタリア2011年
日本代表
AFCアジアカップ20112011年





長友佑都ユニフォームインテル
▲インテルユニフォーム特設コーナー(長友佑都マーキング入りユニ取扱い)▲



日本代表2012ユニフォームバナー
▲日本代表ユニフォーム特設コーナー(長友佑都マーキング対応ユニ取扱い)▲




長友佑都ユニフォームギャラリー
ギャラリー掲載中のユニは、長友佑都がプロのキャリアをスタートしてから現在に至るまで着用したモデルです。
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FC東京2008ホームユニフォーム
FC東京2008ホームユニフォーム

FC東京2008アウェイユニフォーム
FC東京2008アウェイユニフォーム

FC東京2009ホームユニフォーム
FC東京2009ホームユニフォーム

FC東京2010ホームユニフォーム
FC東京2010ホームユニフォーム


FC東京2010アウェイユニフォーム
FC東京2010アウェイユニフォーム


チェゼーナ10-11ホームユニフォーム5長友佑都
チェゼーナ10-11ホームユニ
5 NAGATOMO

チェゼーナ10-11アウェイユニフォーム5長友佑都
チェゼーナ10-11アウェイユニ
5 NAGATOMO

インテル10-11ホームユニフォーム2010CWCチャンピオンパッチつき55長友佑都
インテル10-11ホームユニフォーム
55 NAGATOMO セリエA

インテル10-11ホームUCLユニフォーム2010CWCチャンピオンパッチつき55長友佑都
インテル10-11ホームユニフォーム
55 NAGATOMO チャンピオンズリーグ

インテル10-11ホームユニフォーム55長友佑都コッパイタリア決勝
インテル10-11ホームユニフォーム
55 NAGATOMO コッパイタリア決勝

インテル10-11アウェイユニフォーム2010CWCチャンピオンパッチつき55長友佑都
インテル10-11アウェイユニ
55 NAGATOMO セリエA

インテル10-11アウェイUCLユニフォーム2010CWCチャンピオンパッチつき55長友佑都
インテル10-11アウェイユニ
55 NAGATOMO チャンピオンズリーグ

インテル11-12ホームユニフォーム55長友佑都
インテル11-12ホームユニフォーム
55 NAGATOMO

インテル11-12ホームユニフォーム55長友佑都
インテル11-12ホームユニフォーム
55 NAGATOMO セリエA

インテル11-12ホームユニフォーム55長友佑都
インテル11-12ホームユニフォーム
55 NAGATOMO チャンピオンズリーグ

インテル11-12アウェイユニフォーム
インテル11-12アウェイユニ



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日本代表08ホームユニフォーム
日本代表08ホームユニフォーム

日本代表08アウェイユニフォーム
日本代表08アウェイユニフォーム

日本代表2010ホームユニフォーム
日本代表2010ホームユニフォーム

日本代表2010アウェイユニフォーム
日本代表2010アウェイユニフォーム

日本代表2012ホームユニフォームテックフィット
日本代表2012ホームユニフォーム

日本代表2012アウェイオーセンティックユニフォーム
日本代表2012アウェイユニフォーム




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[ 2011/05/01 19:15 ] 長友佑都 | TB(0) | CM(0)

宮市亮ユニフォーム特集(Miyaichi Ryo football shirts) 

宮市亮。ボルトンユニフォームの背番号30。「RYO」の3文字がマーキングされたトロッターズのユニを着る左サイドアタッカー。愛称はリオ、ロナウジーニョになぞられたリオジーニョ。1992年12月14日生まれ。愛知県岡崎市出身。50メール5秒台の爆発的加速力を183cmの体から絞り出す、次世代の日本を背負うスピードスター。100メールはスプリンター並みの10秒代という驚異的な速さを誇る。


ボルトン11-12ホームユニフォーム30宮市亮
ボルトン11-12ホーム
30 宮市亮

ボルトン11-12アウェイユニフォーム30宮市亮
ボルトン11-12アウェイ
30 宮市亮

日本代表2012ホームユニフォーム
日本代表2012
ホームユニフォーム


小柄なドリブラーが多い日本人にあって、183㎝、70㎏の体格&重心の低いドリーブラーは稀有な存在。慧眼を持つアーセナルの名将、アーセン・ベンゲルが惚れ込んだスピードとドリブル突破力で、アグレッシブなプレーを左サイドで魅せる。細かなステップを踏むことも、ワイドなストライドでダイナミックにボールを運ぶことも可能。巧みなフェイントと自慢の加速力を生かした縦の突破、中央に切れ込む鋭いドリブルで敵を崩しにかかる。フィニッシュのバリエーション多彩な日本人ドリブラー規格外の超新星を、世界最高ウィンガーを引き合いに出し「和製クリスティアー・ロナウド」とロンドンのメディアは報じた。

13才の時にU-14日本代表に選出されて以来、各世代の日本代表としてプレー。中2の春にフェイエノールトの下部組織に2週間の短期留学するなど、その目は早くから世界に向いていた。2008年10月、ウズベキスタンで開催されたAFCU16選手権に召集。2009年夏にはアヤックスほか複数チームのトライアルに参加。2009年11月にナイジェリアで行われたU-17ワールドカップに召集され世界の舞台を経験。翌2010年1月にドイツへ渡り1FCケルン、同年8月にアーセナルとアヤックスのトライアルにチャレンジ。8月1日~13日の約2週間に渡るアーセナルのトライアルでは、アンリやウォルコットら快足サイドアタッカーを好むベンゲル監督に、誰にも負けないと自負するスピードとフィニッシュの素晴らしさを高評価された。

宮市亮を巡っては、アーセナル、アヤックス、ケルン、フェンロ、名古屋、鹿島、浦和など国内外クラブによる争奪戦が勃発。5年の長期契約オファーが意中のクラブ、アーセナルからが届くと、ベンゲルに自らの将来を託すことを決意。9月に入団同意書にサインし仮契約をすませた。18才を迎えた12月14日、2015年6月までの正式契約を結び、12月18日にアーセナル公式サイト上にて2011年1月に宮市亮のガナーズへ入団が発表された。

宮市亮の国内最後のトーナメント、第89回全国高校サッカー選手権では大会No.1注目プレーヤーとして脚光を浴びる。中京大中京高校の左ウイングとして、三ツ沢球技場で12月31日の久御山戦に出場。2-4で敗れ1回戦で姿を消してしまったが、先制ゴールの起点、チーム2点目のゴールを叩き出すなど、90分間でベンゲルが認めたスピードと突破力を何度も披露。大会優秀選手に選出された。


フェイエノールト(Feyenoord Rotterdam)
Jリーグを経由せずに欧州へ乗り込んだ宮市亮だったが、イギリスの就労ビザが下りずオランダのフェイエノールトへ期限付き移籍。18才1ヶ月23日となった2011年2月6日、エールディヴィジ2010/2011シーズン第22節vsフィッテセ戦でプロデビューすると、2月12日にフェイエの本拠地デカイプで行われた第23節vsヘラクレス戦でプロ初ゴールを記録。日本の至宝のポテンシャルを見せつけたのだった。


アーセナル(Arsenal Football Club)
オランダにおける活躍を受け、プレシーズンにガナーズへ呼び戻されアーセナルのアジアツアーに参加。2011年7月13日の親善試合vsマレーシア選抜戦31分から11-12アウェイユニフォームを着て途中出場。アーセナルデビューを飾った。クラブによる当局への働きかけが実を結び、8月9日に特例でイギリスの労働ビザ取得に成功。レンタル先のフェイエノールトからアーセナルに復帰。8月12日、アーセナル公式サイトで宮市亮の背番号31決定が発表された。エールディヴィジで輝きを放ったとは言え、新たな舞台は世界最高峰のプレミアリーグ。半年前まで高校の部活に所属していたスピードスターの原石に、ベンゲル監督は『アーセナルウェイ』と呼ばれるコンビネーションを日々、叩き込み淡々と磨き上げていく。トップチームのベンチ入りを果たす一方、宮市亮はリザーブリーグに出場。持ち味の爆発的スピードを披露しつつ、着実に戦闘体制を整えていった。そして9月20日、18才280日にして宮市ついに公式戦デビュー!! カーリングカップ(フットボールリーグカップ)3回戦vsシュルーズベリー戦71分、背番号31のアーセナル11/12ホームユニフォームに着替えると勢いよくピッチに飛び出した。そして、「リオ!!」を連呼するサポへ挨拶代わりに、自陣から敵陣ペナまで40メートルを一気にドリブルで駆け上がったのである。公式戦2戦目は10月25日のカーリングカップ4回戦vsボルトン戦。73分から左MFとして途中出場し、初めて戦うプレミア勢に臆することなく何度も左サイドを切り裂きポテンシャルの高さを証明した。順調に進んでいた育成だったが、11月7日のリザーブリーグで左足首を捻挫。3週間の戦線離脱となる不測事態に見舞われてしまった。


ボルトン(Bolton Wanderers Football Club)
欧州サッカー2012冬のメルカート目前の12月、宮市亮にレンタル移籍の可能性が浮上。フェイエノールト、バランシエンヌ、フラムなど複数クラブの名前が移籍先に挙がった。プレミアのスピードと激しさの経験を積ませたい指揮官ベンゲルの意向もあり、移籍マーケット最終日となった1月31日、スピードのあるウインガーを探していたボルトン移籍が決定した。新天地ボルトンは、現在、20才にしてアーセナル主力を担うジャック・ウィルシャーかつてのレンタル移籍先だ。ウィルシャーと同じ道を歩むことになった宮市亮。2011/2012シーズン終了まで4か月間、トロッターズの武者修行で更なる成長を遂げるはずだ。


宮市亮 基本情報
本名宮市亮
欧文Ryo Miyaichi
愛称リオ、リオジーニョ
ポジションフォワード
背番号34
生年月日1992年12月14日
国籍日本
出身地愛知県岡崎市
身長138cm
体重70㎏
契約2011年5月(フェイエノールト)
2015年5月(アーセナル)
移籍金
年棒
プロデビュー2011年2月6日(フェイエノールトvsフィテッセ)
代表デビュー



シーズン
所属クラブ
リーグ
成績
背番号
2010-2011
フェイエノールト
エールディビジ
12試合出場3得点
34
2011-2012
アーセナル
プレミアリーグ
2試合出場
※カーリングカップのみ出場
31
2011-2012
ボルトン
プレミアリーグ
 -
30





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フェイエノールト10-11ホームユニフォーム34宮市亮
フェイエノールト10-11
ホームユニフォーム

フェイエノールト10-11アウェイユニフォーム
フェイエノールト10-11
アウェイユニフォーム

アーセナル11-12ホームユニフォーム31宮市亮
アーセナル11-12
ホームユニフォーム

アーセナル11-12アウェイユニフォーム
アーセナル11-12
アウェイユニフォーム

ボルトン11-12ホームユニフォーム30宮市亮
ボルトン11-12
ホームユニフォーム

ボルトン11-12アウェイユニフォーム30宮市亮
ボルトン11-12
アウェイユニフォーム






[ 2011/04/16 15:05 ] 宮市亮 | TB(0) | CM(0)

クリスティアーノ・ロナウド(Cristiano Ronaldo)ユニフォーム特集 

クリスティアーノ・ロナウド。レアル・マドリードユニフォームの背番号7。母国ポルトガルでもルイス・フィーゴより背番号7を継承。「7 RONALDO」とマーキングされたサッカーユニフォームを着用し、マドリーで、そしてポルトガル代表で誰よりも貪欲にゴールを狙い続ける。


レアル・マドリード11-12ホームユニフォーム7ロナウド
レアルマドリード11-12ホーム

レアル・マドリード11-12アウェイユニフォーム7ロナウド
レアルマドリード11-12アウェイ

レアル・マドリード11-12サードユニフォーム7クリスティアーノ・ロナウド
レアルマドリード11-12サード


2003年にUEFA選出の「今後注目すべき若手選手7人」に名を連ね、その5年後、23才の若さでバロンドールとFIFA最優秀選手賞をダブル受賞。世界最高ドリブラーの圧倒的攻撃力は、驚異的なスピードと超絶テクニック、類い稀なフィジカルとタフなメンタルが源。世界中を見渡しても、彼ほどすべてにおいて一級品のFWは見当たらない。

長身にも関わらず足元は非常に器用。変幻自在のシザーズ、エラシコ、ラボーナはクリスティアーノ・ロナウドの真骨頂。予測不可能な足技と俊足を生かした高速ドリブルは、DFを抜く、崩すためのテクニックというより「芸術」と表現したほうが纏を得ている。相手ゴールを脅かす打点の高いヘッド、左右どちらからでも狙えるシュート力も見逃せないところ。無回転のブレ球を操るフリーキックは、高速ドリブルと合わせて彼の代名詞である。

本名はクリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロOIH(Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro OIH)。1985年2月5日生まれ。出身はポルトガル南西1,000㎞の大西洋上に浮かぶマデイラ諸島の首都フンシャルのサン・アントニオ。サッカーを本格的にはじめたのは9才の頃で、地元の小さなサッカークラブ、CFアンドリーニャスに入団すると、その存在はすぐに島中の知るところとなりマデイラのマリティモとCDナシオナルが争奪戦を繰り広げたという。10才になった1995年にナシオナル下部組織へ移り、翌1996年には緑フープのサッカーユニフォームで知られる名門スポルティング・リスボンのセレクションをパス。ポルトガル本土へ進出を果たした。


マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)
ルイス・フィーゴほか、あまたの名プレーヤーを輩出してきた新天地リスボン下部組織で過ごした時間は、その後のクリスティアーノ・ロナウドのプレースタイルを決定づける密度の濃いものとなる。名アカデミーの燻陶を受けた天才ドリブラーは、2001年にスポルティング・リスボンと契約しプロのキャリアをスタート。2003年に移籍金23億円でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。ベッカムが抜けるなど過渡期にあったユナイテッド復権に貢献し、プレミアリーグ3連覇を筆頭にUEFAチャンピオンズリーグ、クラブワールドカップほか国内外の数々のタイトルを獲得に寄与。自身もバロンドール、FIFA最優秀選手賞に輝き世界の頂点に登り詰めている。

レアル・マドリード(Real Madrid)
ユナイテッドで6年間プレーした後、2009年に史上最高額となる移籍金130億円で新天地レアル・マドリードへ。初年度の背番号は9だったが、欧州サッカー2010夏のメルカートでラウール・ゴンザレスがシャルケに移籍。彼の背番号7を受け継ぎCR7が2010/2011シーズンに1年ぶりに復活を果たしている。新指揮官ジョゼ・モウリーニョからチーム唯一の守備免除特権を与えられ、持ち前の攻撃力をいかんなく発揮し驚異のハイペースでゴールネットを揺らす。10月23日のラシン戦で自身初の1試合4ゴールをマーク。リーガ51試合目となった2011年2月6日の第22節vsレアル・ソシエダ戦20分と42分に立て続けにゴールを決め、リーグ通算50ゴールに到達。レジェンドのプスカシュの54試合、ディ・ステファノの56試合を凌ぐクラブ最速記録を達成した。同シーズンにリーガエスパニョーラ通算40得点の大記録を樹立。ウーゴ・サンチェスの38得点超えを果たし、リーガシーズン最多得点記録を塗り替えた。

2011/2012シーズンも絶好調を維持。2011年11月2日に行われた欧州CLグループリーグDvsリヨン戦でレアルマドリードにおける公式戦通算100ゴールにわずか105試合で到達。1試合平均得点は0.95点というハイアベレージを記録し、マドリー栄光の歴史にその名を刻み込んだのだ。100ゴール中、特に忘れられないゴールとして、2011年4月20日のクアトロクラシコ第2戦コパ・デル・レイ決勝vsバルセロナ戦103分に放った決勝ヘッド弾を挙げている。

ポルトガル代表(Portugal National Football Team)
ポルトガル代表としてはU-15、U-16、U-17など各年代で異才を放ち、プレミアデビュー4日後の2003年8月20日に国際親善試合vsカザフスタン戦でA代表デビュー。後半開始からルイ・コスタに代わり出場しピッチに登場した。この時、クリスティアーノ・ロナウドは背番号16のポルトガル代表25アウェイ半袖ユニフォームを着用している。UEFA欧州選手権2004でユーロデビュー。大会開幕戦となった6月12日のグループA第1戦vsギリシャ戦は後半開始から出場すると、ロスタイムに入った93分に豪快ヘッドを決め代表初得点をマーク。6試合出場2得点を挙げ、クリスティアーノ・ロナウドはポルトガル代表の準優勝に貢献。得意のドリブルで数々のチャンスを生み出す19才の新星はポルトガル中を熱狂の渦に巻き込んだのである。

ワールドカップ初出場は4位躍進を果たした2006ドイツ大会。欧州大陸予選で7ゴールを挙げ、ポルトガルの主力メンバーとして人生初のWCの大舞台6試合出場1得点を挙げた。WC初ゴールは2006年6月17日のグループリーグ第2戦vsイラン戦80分にPKで決めている。2度目のワールドカップとなった2010南アフリカ大会では、チームのモチベーターたるゲームキャプテンとして挑むが、全4試合に出場してゴールネットを揺らしたのはわずか1回のみという結果に終わった。ユーロ2012予選ではグループリーグまさかの2位となり、ポルトガル代表は本大会進出をかけボスニア・ヘルツェゴビナ代表とプレーオフへ。2011年11月15日の2ndレグでは、リーガの好調ぶりを物語るかのように先制弾とチーム3点目を決めドブレーテ。ポルトガル5大会連続6回目のユーロ出場の原動力となった。


クリスティアーノ・ロナウド基本情報
本名
クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ OIH
欧文
Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro OIH
愛称
CR7、ロニー、クライベイビー
ポジション
FW
背番号

生年月日
1985年2月5日
国籍
ポルトガル
出身地
マデイラ諸島フンシャル
身長
186cm
体重
84㎏
契約
2009年7月1日~2015年6月末
移籍金
8000万ポンド(約132億円)
年棒
1300万ユーロ(約17億4000万円)
プロデビュー
2002年8月 スポルティングvsベティス(プレシーズンマッチ)
代表デビュー
2003年8月20日 ポルトガル代表vsカザフスタン代表(国際親善試合)
公式サイト
 http://www.cronaldo7.es/index2.php
公式フェイスブック
 http://www.facebook.com/Cristiano



シーズン
所属クラブ
クラブ個人成績
背番号
2002-2003
スポルティング(スーペルリーガ)
31試合出場5得点
28
2003-2004
マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ)
40試合出場6得点

2004-2005
マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ)
50試合出場9得点

2005-2006
マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ)
47試合出場12得点

2006-2007
マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ)
53試合出場23得点

2007-2008
マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ)
48試合出場42得点

2008-2009
マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ)
47試合出場23得点

2009-2010
レアル・マドリード(リーガエスパニョーラ)
35試合出場33得点

2010-2011
レアル・マドリード(リーガエスパニョーラ)
55試合出場53得点

2011-2012
レアル・マドリード(リーガエスパニョーラ)
 ― 



タイトル
マンチェスター・ユナイテッド
FAプレミアリーグ
2006-2007、2007-2008、2008-2009
FAカップ
2003-2004
カーリングカップ
2005-2006、2008-2009
コミュニティーシールド
2007、2008
UEFAチャンピオンズリーグ
2007-2008
FIFAクラブワールドカップ
2008
リーグ得点王
2007-2008
チャンピオンズリーグ得点王
2007-2008
ゴールデンブーツ
2007-2008
バロンドール
2008
FIFA最優秀選手賞
2008
プスカシュ賞
2009
レアル・マドリード
コパ・デル・レイ
2010-2011
ゴールデンブーツ
2010-2011
ピーチ賞
2010-2011
ポルトガル代表
トゥーロン国際大会
2003




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クリスティアーノ・ロナウド(Cristiano Ronaldo)ユニフォームギャラリー

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スポルティングリスボン02-03ホームユニフォーム
スポルティング02-03ホーム

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マンチェスターUTD 03-04ホーム
7 ロナウド UCL

マンチェスター・ユナイテッド04-06ホームユニフォーム
マンチェスターUTD 04-06ホーム

マンチェスター・ユナイテッド05-06ホームユニフォーム7ロナウドUCL
マンチェスターUTD 05-06ホーム
7 ロナウド UCL

マンチェスター・ユナイテッド06-07ホームユニフォーム
マンチェスターUTD 06-07ホーム

マンチェスター・ユナイテッド06-07アウェイユニフォーム7ロナウド
マンチェスターUTD 06-07アウェイ
7 ロナウド

マンチェスター・ユナイテッド07-09ホームユニフォーム
マンチェスターUTD 07-09ホーム

マンチェスター・ユナイテッド07-08ホームユニフォーム7ロナウドUCL
マンチェスターUTD 07-08ホーム
7 ロナウド UCL

マンチェスター・ユナイテッド08-09アウェイユニフォーム7ロナウドUCL
マンチェスターUTD 08-09アウェイ
7 ロナウド UCL

マンチェスター・ユナイテッド08-09サードユニフォーム7ロナウド
マンチェスターUTD 08-09サード
7 ロナウド

レアル・マドリード09-10ホームユニフォーム
レアル・マドリード09-10ホーム


レアル・マドリード10-11ホームユニフォーム7ロナウド
レアル・マドリード10-11ホーム
7 ロナウド

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レアル・マドリード11-12ホーム
7 ロナウド

レアル・マドリード11-12ホームユニフォーム7ロナウドUCL
レアル・マドリード11-12ホーム
7 ロナウド UCL

レアル・マドリード11-12アウェイユニフォーム7ロナウド
レアル・マドリード11-12アウェイ
7 ロナウド


レアル・マドリード11-12サードユニフォーム7クリスティアーノ・ロナウド
レアル・マドリード11-12サード
7 ロナウド


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ポルトガル代表02アウェイユニフォーム
ポルトガル代表02アウェイ


ポルトガル代表04ホームユニフォーム
ポルトガル代表04ホーム


ポルトガル代表06ホームユニフォーム17ロナウドWC
ポルトガル代表06ホーム
17 ロナウド W杯2006

ポルトガル代表08ホームユニフォーム
ポルトガル代表08ホーム


ポルトガル代表2010ホームユニフォーム7ロナウドWC
ポルトガル代表2010ホーム
7 ロナウド W杯2010

ポルトガル代表2010アウェイユニフォーム7ロナウドWC
ポルトガル代表2010アウェイ
7 ロナウド W杯2010






リオネル・メッシ(Lionel Messi)ユニフォーム特集 

リオネル・メッシ。ブラウグラナ(青×エンジ)のバルセロナユニフォーム、アルビセレステス(水色×白)のアルゼンチン代表ユニフォームのエースナンバー10を背負う世界No.1アタッカー。変幻自在のコンビネーションで敵を圧倒するバルサ超絶オートマティズムにおいて、カンテラが輩出した最高傑作は唯一無二の存在。驚異の決定力は、世界で最も美しく、最も攻撃的なサッカーでフットボールシーンの頂点に立つチームの中でひときわ異彩を放つ。


バルセロナ11-12ホームユニフォーム10メッシフルマーキング
バルセロナ11-12ホーム
リーガエスパニョーラ

バルセロナ11-12ホームユニフォーム10メッシUCL
バルセロナ11-12ホーム
チャンピオンズリーグ

バルセロナ11-12ホームユニフォーム10メッシ2011クラブワールドカップ
バルセロナ11-12ホーム
2011クラブワールドカップ


『美しく勝利せよ』を追及し続けるバルセロナのDNAを刻み込んだ体には、ズバ抜けた加速力で瞬時にトップスピードへ到達する世界最軽量ハイスペックエンジンを搭載。足に吸い付く天性のタッチでボールを操り、緩急つけた冴え渡るドリブルでゴールに迫る様は全盛時のマラドーナそのもの。ワールドクラスのDFですら『わかっちゃいるけど止められない』が本音だろう。

本名はリオネル・アンドレス・メッシ(Lionel Andres Messi)。愛称はレオ。アルゼンチン共和国サンタフェ州ロサリオ出身。1987年6月24日生まれ。サッカーを始めたのは3才ごろ。5才の時に入った地元少年サッカーチーム「グランドーリ」では、巧みなドリブルで上級生たちを次々とブチ抜いていた。7才になりロサリオの名門クラブ「ニューウェルス・オールドボーイズ」下部組織に進み、2000年にバルセロナのセレクションに参加。当時のトップチーム指揮官カルロス・レシャックは、身長143cmの小さな体に宿る天賦の才を即座に見抜きこう言った。「紙ナフキンでも何でもいいから今すぐ契約書を作れ」。


バルサの哲学を学び、バルサの流儀で育てられた少年は、アカデミーでトレーニングを重ねながら成長障害の治療を続け、驚異的なボディーバランスとテクニックを我が物にしていく。そして2003年11月、バルサBでプレーしていた16才5ヶ月の逸材に、ポルトとフレンドリーマッチを行うトップチームから声がかかりポルトガル遠征に帯同。11月16日のエスタディオ・ドラゴン落成記念試合において、背番号14のバルセロナ03-04アウェイユニフォームを着て後半途中出場。非公式ながらトップチームデビューを飾る。この試合において23分間のプレーで2度の決定機を演出したメッシ。モウリーニョ率いるUEFAカップ王者を相手に、何ら臆することなく堂々渡り合ってみせたのだった。


バルセロナ(FC Barcelona)
公式戦デビューはポルト戦から約11ヶ月後の17才117日の時。ライカールトをして「バルサの未来」と後に言わしめるカンテラーノは、バルセロナダービーとなった2004年10月16日のリーガ第7節vsエスパニョール戦に番号30の04-05ユニフォームでピッチに立った。リーガ戦終盤の2005年5月1日の第34節vsアルバセテ戦では、当時のクラブ最年少得点記録を更新するリーガ初ゴールをマークしている。

右ウィングのレギュラー確保を目指した2005/2006シーズンにクラシコ初出場。2005年11月20日、ベルナベウで行われたリーガ第12節vsレアル・マドリード戦でクリエイティブなプレーを連発。白い巨人をチンチンにして0-3の勝利に貢献した。

背番号19に変わり、バルサの主力となった2006/2007シーズンは、才能の片鱗を物語る2つのビッグプレーが誕生。まずは97823人の大観衆を収容した本拠地カンプ・ノウ開催のクラシコハット。2-3の1点ビハインドでアディショナルタイムに突入した、2007年3月10日のリーガ第26節vsレアル・マドリード戦。この日すでに2ゴールを決めていたメッシは、敗戦濃厚の91分にロナウジーニョのパスを受けるとドリブル突破からロスタイム同点弾を放ちバルサの窮地を救ったのだ。レジェンド、ロマーリオ以来13年ぶり6人目のホーム開催クラシコハットは、クラシコ最年少ハットトリック記録を塗り替える快挙。翌11日のムンド・デポルティーボ紙には『メッシ、メッシ、メッシ!』のタイトルが踊った。2つ目のビッグプレーは世界中を騒然とさせたマラドーナ伝説の5人抜きの再現。2007年4月18日のコパ・デル・レイ準決勝1stレグvsヘタフェ戦29分、センターライン付近から一気に加速すると4人を抜き去り、最後はGKもきっちりかわして5人抜きドリブルシュートを決めた。1986WCメキシコ大会のアルゼンチンvsイングランド戦でマラドーナが駆け抜けたのとほぼ同ルートを辿った超絶プレー。マラドーナがボールタッチ13回で62メートル10秒、対するメッシはボールタッチ13回で58メートル11秒で5人抜きを完遂している。

トップチーム5シーズン目の2008/2009シーズンに、バルセロナ入団に匹敵するターニングポイントが訪れメッシは大きな飛躍を遂げる。転機をもたらしたのは新監督に就任したペップことグアルディオラだ。現代サッカーを代表する若きカリスマは、チームの象徴ロナウジーニョを放出し改革を断行。メッシを新エースに指名し背番号10を託した。「バルサのNo.1はメッシだ」。そう公言してはばからないグアルディオラの期待に応え、世界最高のフットボーラーたちと高次元で連動。リーガでは自己最多23ゴールをマークし得点ランキング2位に躍進。国王杯ファイナルでは決勝弾を放ち、UEFAチャンピオンズリーグでは得点王に。クラブ創設110年の節目にスペイン勢初のトレブル(三冠)、2009年度の前人未到6冠の原動力となったメッシは、09バロンドールとFIFA年間最優秀選手賞をダブル受賞を果たす。2008/2009シーズン通算38ゴールもさることながら、特筆すべきは大きな怪我なく初めてフルシーズンを戦い抜いたこと。爆発的スピードを支えきれず、毎シーズン繰り返していた筋肉系トラブルをバルセロナ医療チームが総力を挙げてケア。同時期に始めた食生活見直しの効果もあり、年間51試合に出場できたのである。

世界最高峰に上り詰めたバルセロナとメッシに対し、以降、国内外で包囲網が敷かれるが、ライバルの挑戦を跳ね返してチームは2009/2010シーズンはリーガと国王杯、2010/2011シーズンはリーガとUCL2の冠を達成。メッシは3年連続チーム内得点王、3年連続UCL得点王、リーガ2009/2010得点王とゴール量産。アルゼンチン人初戴冠となったバロンドールは2010年、2011年も選出され3年連続受賞。2011年に新設されたUEFA最優秀選手賞にも選出されるなど、名実ともに世界No.1フットボーラーとなった。


アルゼンチン代表(Argentina National Football Team)
2005年5月のリーガ初ゴールから1ヶ月後、6月10日にオランダで開幕した2005FIFAワールドユース選手権に飛び級で招集。6得点2アシストを挙げ得点王と大会MVPに輝く活躍で、チームをワールドユース5度目の優勝へと導いた。同世代トップ選手が集う国際大会での異次元プレーは、すぐさまフル代表の道を切り開く。ワールドユース決勝翌月の2005年8月17日、国際親善試合vsハンガリー戦63分から途中出場しフル代表デビュー!! 年代別カテゴリーを一気に飛び越え18才55日で母国の最高峰へ到達すると、フル代表6試合目の2006年3月1日に行われた国際親善試合vsクロアチア戦で代表初ゴールをマーク。そして2006WCドイツ大会を迎える。

背番号19のアルゼンチン代表06ユニフォームが与えられたメッシは、6月16日のグループリーグ第2戦vsセルビア・モンテネグロ戦75分からマキシ・ロドリゲスに代わりピッチに登場。直後の78分にクレスポのゴールをアシストすると、88分にワールドカップ史上3番目に若い18才357日の初ゴールを決め鮮烈デビューを飾った。アルゼンチン代表WC史上最年少出場記録、最年少得点記録、最年少アシスト記録もこの一戦において樹立している。

ベネズエラで開催されたコパ・アメリカ(南米選手権)2007は背番号18のユニで全6試合出場2得点を記録。5試合でスタメンに名を連ね、2度マンオブザマッチに選出されるパフォーマンスを披露。レギュラーの座を不動のものに。金メダルを獲得した翌2008年の北京オリンピックでは、背番号15のアルゼンチン代表08ユニフォームでプレー。5試合に出場し2ゴールをマークした。

バロンドール初受賞翌年に自身2度目の大舞台、2010WC南アフリカ大会に出場。スタープレーヤーひしめく優勝候補アルゼンチン代表のエースとして背番号10を背負った。世界最高フットボーラーとは何たるかを証明するはずだったが、一度もゴールネットを揺らすことなく準々決勝でドイツに敗れてしまう。

2011年7月1日にコパ・アメリカ2011が母国で開幕。南米選手権15度目の優勝を義務づけられたホスト国の大黒柱は、大会最注目フットボーラーとして国民の期待を一身に背負い4試合に出場しマン・オブ・ザ・マッチに選出されること2回。だが、ゴールの歓喜を前年のワールドカップ同様に味わえぬまま、準決勝でウルグアイに屈し大会から姿を消した。



リオネル・メッシ 基本情報
本名
リオネル・アンドレス・メッシ
欧文
Lionel Andrés Messi
愛称
レオ、プルガ、プルガ・アトミカ
ポジション
FW、MF
背番号
10
生年月日
1987年6月24日
国籍
アルゼンチン、スペイン
出身地
アルゼンチン共和国サンタフェ州ロサリオ出身
身長
169㎝
体重
67kg
契約
2016年6月末
移籍金
2億5000万ユーロ(約261億円)
年棒
950万ユーロ(約13億1000万円)
プロデビュー
2004年10月16日 リーガエスパニョーラ2004-2005シーズン
第7節バルセロナvsエスパニョール
代表デビュー
2005年8月17日 国際親善試合アルゼンチン代表vsハンガリー代表
公式サイト
http://www.leomessi.com/
公式フェイスブック
http://www.facebook.com/LeoMessi
公式モバイルサイト
http://www.diamondblog.jp/main/special/101111_messi_mobile/
レオ・メッシ財団
http://www.fundacionleomessi.org/index.php
バルセロナ公式サイト
http://www.fcbarcelona.es/
バルセロナ公式サイト(日本語)
http://www.fcbarcelona.jp/





シーズン
所属クラブ
リーグ
背番号
2004/2005
バルセロナ
リーガエスパニョーラ
30
2005/2006
バルセロナ
リーガエスパニョーラ
19
2006/2007
バルセロナ
リーガエスパニョーラ
19
2007/2008
バルセロナ
リーガエスパニョーラ
19
2008/2009
バルセロナ
リーガエスパニョーラ
19
2009/2010
バルセロナ
リーガエスパニョーラ
10
2010/2011
バルセロナ
リーガエスパニョーラ
10
2011/2012
バルセロナ
リーガエスパニョーラ
10





主要獲得タイトル
バルセロナ
リーガエスパニョーラ
2004-2005、2005-2006、2008-2009、2009-2010、2010-2011
スペイン国王杯
2008-2009
スペインスーパーカップ
2005、2006、2009、2010、2011
UEFAチャンピオンズリーグ
2005-2006、2008-2009、2010-2011
UEFAスーパーカップ
2009、2011
FIFAクラブワールドカップ
2009
リーガエスパニョーラ得点王
2009-2010
UEFAチャンピオンズリーグ得点王
2008-2009、2009-2010、2010-2011
ゴールデンシュー
2009-2010
バロンドール
2009
UEFA欧州最優秀選手賞
2011
FIFA年間最優秀選手
2009
FIFAバロンドール
2010
ブラヴォー賞
2007
ゴールデンボーイ
2005
アルゼンチン代表
FIFAワールドユース
2005
北京オリンピック
2008
FIFAワールドユース得点王
2005
FIFAワールドユース最優秀選手
2005
コパ・アメリカ最優秀若手選手
2007




バルセロナ11-12ユニフォーム
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アルゼンチン代表2011ユニフォーム価格比較表
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メッシ(Messi)ユニフォームギャラリー
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バルセロナ04-05ホームユニフォーム
バルセロナ04-05ホーム


バルセロナ04-05アウェイユニフォーム
バルセロナ04-05アウェイ


バルセロナ04-05サードユニフォーム
バルセロナ04-05サード


バルセロナ05-06ホームユニフォーム
バルセロナ05-06ホーム



バルセロナ05-06アウェイユニフォーム
バルセロナ05-07アウェイ・サード



バルセロナ06-07ホームユニフォーム
バルセロナ06-07ホーム
unisefロゴなし


バルセロナ06-07ホームユニフォーム
バルセロナ06-07ホーム
unisefロゴ

バルセロナ06-07アウェイユニフォーム
バルセロナ06-07アウェイ
unisefロゴなし


バルセロナ06-07アウェイユニフォーム
バルセロナ06-08アウェイ・サード
unisefロゴ

バルセロナ07-08ホームユニフォーム
バルセロナ07-08ホーム

バルセロナ07-08アウェイユニフォーム
バルセロナ07-09アウェイ・サード

バルセロナ08-09ホームユニフォーム
バルセロナ08-09ホーム

バルセロナ08-09ホームユニフォーム2009コパデルレイ決勝
バルセロナ08-09ホーム
コパデルレイファイナル

バルセロナ08-10アウェイ・サード
バルセロナ08-10アウェイ・サード


バルセロナ09-10ホームユニフォーム2009CWCチャンピオンパッチつき
バルセロナ09-10ホーム
2009CWCチャンピオンパッチ

バルセロナ09-10アウェイユニフォーム2009CWC
バルセロナ09-10アウェイ
2009CWC

バルセロナ10-11ホームユニフォーム2009CWC
バルセロナ10-11ホーム
2009CWCチャンピオンパッチ

バルセロナ10-11ホームユニフォーム
バルセロナ10-11ホーム


バルセロナ10-11ホームユニフォームLa Marato チャリティパッチ
バルセロナ10-11ホーム
La Marato チャリティパッチ

バルセロナ10-11ホームユニフォームEsport3チャリティパッチ
バルセロナ10-11ホーム
Esport3チャリティパッチ

バルセロナ10-11ホームユニフォーム2011UCL決勝
バルセロナ10-11ホーム
2011CLファイナル

バルセロナ10-11アウェイユニフォーム2009CWC
バルセロナ10-11アウェイ
2009CWCチャンピオンパッチ

バルセロナ10-11アウェイユニフォーム
バルセロナ10-11アウェイ


バルセロナ10-11アウェイユニフォームCL
バルセロナ10-11アウェイ
チャンピオンズリーグ

バルセロナ10-11アウェイユニフォームCL
バルセロナ10-11アウェイ長袖
チャンピオンズリーグ

バルセロナ11-12ホームユニフォーム10メッシフルマーキング
11-12ホーム


バルセロナ11-12ホームユニフォーム2011CWCチャンピオンパッチ
11-12ホーム
2011CWCチャンピオンパッチ

バルセロナ11-12ホームユニフォーム10メッシ2011クラブワールドカップ
11-12ホーム
2011クラブワールドカップ

バルセロナ11-12ホームUCLユニフォーム10メッシ
11-12ホーム
チャンピオンズリーグ

バルセロナ11-12ホームユニフォーム10メッシ2012スペイン国王杯決勝
11-12ホーム
2012コパ・デル・レイ決勝

バルセロナ11-12アウェイユニフォーム10メッシ
バルセロナ11-12アウェイ


バルセロナ11-12アウェイユニフォーム10メッシUCL
11-12アウェイ
チャンピオンズリーグ

バルセロナ12-13ホームユニフォーム10メッシ2011CWCパッチ
12-13ホーム
2011CWCチャンピオンパッチ

アルゼンチン代表04ホームユニフォーム
アルゼンチン代表04ホーム

アルゼンチン代表04アウェイユニフォーム
アルゼンチン代表04アウェイ

アルゼンチン代表06ホームユニフォーム
アルゼンチン代表06ホーム

アルゼンチン代表06アウェイユニフォーム
アルゼンチン代表06アウェイ

アルゼンチン代表08ホームユニフォーム
アルゼンチン代表08ホーム

アルゼンチン代表08アウェイユニフォーム
アルゼンチン代表08アウェイ

アルゼンチン代表2010ホームユニフォームWCナイジェリア戦フルマーキング
アルゼンチン代表2010ホーム
vsナイジェリア

アルゼンチン代表2010ホームユニフォームWCドイツ戦フルマーキング
アルゼンチン代表2010ホーム
vsドイツ

アルゼンチン代表2011ホームユニフォームadidasフレンドリーマッチロゴ
アルゼンチン代表2010ホーム
adidasフレンドリーマッチロゴ

アルゼンチン代表2010アウェイユニフォームWCギリシャ戦フルマーキング
アルゼンチン代表2010アウェイ
vsギリシャ

アルゼンチン代表2011ホームユニフォーム10メッシ
アルゼンチン代表2011ホーム


アルゼンチン代表2011ホームユニフォーム10メッシコパアメリカ2011
アルゼンチン代表2011ホーム
コパアメリカ2011

アルゼンチン代表2011アウェイユニフォーム10メッシ
アルゼンチン代表2011アウェイ


アルゼンチン代表2011アウェイユニフォームadidasフレンドリーマッチロゴ
アルゼンチン代表2011アウェイ
adidasフレンドリーマッチロゴ


Coming Soon!!







[ 2011/02/19 13:40 ] リオネル・メッシ | TB(0) | CM(0)

内田篤人ユニフォーム特集(シャルケ)Schalke04 

内田篤人。シャルケユニフォームの背番号22、日本代表ユニフォームの背番号6。「日本の右は最低10年は安泰」。2004年のプロデビュー戦で、そう予感させるパフォーマンスを見せた若きフットボーラーは、サイドバックの絶対条件たるスピードに絶対の自信を持つ韋駄天だ。やわらかいタッチでボールを操りながら、果敢に仕掛けるスピードに乗ったドリブル突破はマッチアップする相手にとって最大の脅威。快足を飛ばした攻撃参加はシャルカーたちを虜にしてやまない。スピードとともにSBに求められるクロスの精度も一級品。ニアへ鋭く送り込む高速低空飛行のアーリークロスはじめ、質の高いクロスから数々のチャンスを演出。ディフェンスで軽さを見せることもあるが、的確なポジショニングと先を読むプレーIQの高さでカバーする。


シャルケ10-12ホームユニフォーム22内田篤人
シャルケ10-12
ホームユニフォーム

シャルケ11-12アウェイユニフォーム22内田篤人
シャルケ11-12
アウェイユニフォーム

シャルケ11-12サードユニフォーム22内田篤人
シャルケ11-12
サードユニフォーム



1988年3月27日生まれ、静岡県出身。地元の函南SSSで本格的にサッカーを始め、地域トレセンの田方FCに参加。函南中学校から名門・清水東高校に進学。高2の時にカテゴリー別日本代表に初めて選ばれ、U-16日本代表MFとして2004年8月に開催された豊田国際ユースサッカー大会に出場。初戦オランダ戦では同点弾を放ち逆転勝利に寄与した。SBにコンバートされたのは高3になってからである。


鹿島アントラーズ(Kashima Antlers Football Club)
2006年に鹿島アントラーズに入団。キャンプ中から「右SBは内田で行く」と、アウトゥオリ監督に高評価を得て、2006年3月5日のJリーグ開幕戦vsサンフレッチェ広島戦にクラブ史上初となる高卒ルーキー開幕スタメン出場。敵陣で臆することなくドリブル突破を仕掛け先制PKを誘発した。3月21日の第4節vsヴァンフォーレ甲府戦26分にプロ初得点を記録。当時のJ高卒ルーキー最年少ゴール記録を塗り替えるなど華々しいスタートを切り、1年目から鹿島の右SBレギュラーに定着。その名を轟かせた。

鹿島Jリーグ3連覇中の2007年4月にA代表の合宿に初めて参加。6月30日から7月22日までカナダで行われ、ベスト16入りを果たしたU-20ワールドカップに全4試合フル出場。そして2008年1月26日、岡田ジャパンに召集され19才305日で国際親善試合vsチリ戦のピッチに立ちA代表デビュー!! 同世代の誰よりも速く日本代表の階段を駆け上がる。20才87日で出場した6月22日のワールドカップアジア地区3次予選最終戦vsバーレーン戦では、試合終了間際の90分に価千金の決勝ゴールを決め1-0の勝利の立役者に。この内田篤人A代表初得点は、日本代表ワールドカップ予選史上最年少ゴール記録である。6月11日~7月11日に開催された北京オリンピックでは1次リーグ2試合に先発フル出場した。

順風満帆に見えた歩み。だが、2009シーズン序盤に試練が訪れる。Jリーグ、ACL、代表戦と超過密をこなしてきた体が悲鳴をあげ、練習でも試合でも息が上がると嘔吐するようになってしまったのだ。全力プレーができなくなった結果、パフォーマンスは低下。鹿島と代表でレギュラーを張り続けるが、騙し騙しのプレーを余儀なくされ精彩を欠いていく。

2010年4月上旬、前年冬に顎、足、枕つき超VIP待遇で本拠地ゲルゼンキルヘンへ内田篤人を招待したシャルケから獲得正式オファーが届いた。6月13日に細部条件の詰めが終了しクラブ間合意に至り、7月1日付け完全移籍が公式発表に。推定移籍金は鹿島の要求通り1億5000万円。過去、日本人選手の欧州移籍に際し、移籍金減額を飲み苦虫をつぶしてきたJのクラブが、要求通りの数字を勝ち取ったのは異例中の異例のことである。

世界基準の駆け引きを体感する好機、6月11日に開幕した2010ワールドカップ南アフリカ大会は、岡田ジャパンが大会直前に専守防衛へと戦術転換したため不動のSBはベンチを温め続ける。出場時間0分。1試合も出場できず帰国。プロデビュー以来、初めて味わう挫折。だが、WC期間中に体を休めたことが功を奏し、1年以上苦しめ披露とストレスが原因と思われる嘔吐の症状は改善の方向に向かう。


シャルケ(FC Gelsenkirchen-Schalke 04 e.V.)
WC後、ドイツへ渡り7月13日にシャルケと正式に契約。推定年俸は欧州・南米選手級の2億1500万円。欧州移籍1年目の日本人選手歴代1位だったカズの1億円をはるかに上回る金額である。シャルカーからウッシーの愛称で呼ばれる内田篤人は8月7日のDFLスーパーカップvsバイエルン戦で公式戦デビュー。嘔吐の再発なく全力で90分間走り抜き、完全復活を遂げた。8月21日のブンデスリーガ2010/2011シーズン開幕戦vsハンブルガー戦59分からピッチに投入されブンデスデビュー。10月16日の第8節vsシュツットガルト戦でリーグ戦フル出場を果たし、レギュラーに定着していく。11月24日のUCLグループB第5節vsリヨン戦89分にクロスからフンテラールのゴールを演出し、チャンピオンズリーグ初アシストを記録。12月4日のブンデスリーガ第15節vsバイエルン戦でリベリーを完全に封じ込め、チームメイトとシャルカーから喝采を浴びるとともに揺るぎない信頼を獲得した。

2011年1月7日~29日までカタールで開催された2011アジアカップに召集。5試合に出場し日本代表4度目の優勝に貢献後、シャルケに合流。ブンデス後半戦も攻守に渡り活躍し続け、2月15日から始まったUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント全試合に先発フル出場。1回戦vsバレンシア戦、準々決勝vsインテル戦を制しクラブ史上初、そして日本人初となるベスト4進出を果たす。準決勝vsマンチェスター・ユナイテッド戦2ndレグ前日の5月3日には、UEFA公式サイトに内田篤人の特集記事がアップされている。シーズン終盤に調子を落としてしまったが、5月21日に行われたドイツカップ決勝vsデュイスブルク戦に81分から途中出場。シャルケ移籍後初タイトルを獲得し2010/2011シーズンを締めくくった。

新加入ながらレギュラーとして活躍し、日本代表の主力として戦い続けた疲労が考慮され、特別に長めのオフが与えられたシャルケ2年目。規定路線通りスロースタート&調整不足のまま開幕戦を迎えた。2011/2012シーズン序盤はベンチ入り出番なしが続いたが、8月28日の第4節vsボルシアMG戦で今季リーグ戦初出場。9月15日のUEFAヨーロッパリーグ開幕戦vsステアウア・ブカレスト戦で攻守に安定したプレーを見せ、上昇気流に乗り始めた。その後、怪我による戦線離脱、監督交代劇などが重なり出場機会が激減しているが、必ずや逆境を撥ね返しシャルケ右SBレギュラーに戻はずだ。少しでも気を抜けば落ちていく。必死にならないとやられる。不安要素ばかりだったドイツ1年目で得た我武者羅にフットボールと向き合うマインドが有る限り。



内田篤人 基本情報
本名
内田篤人
欧文
Atsuto Uchida
愛称
ウッシー、アツト、うっちー
ポジション
右サイドバック
背番号
22
生年月日
1988年3月27日
国籍
日本
出身地
静岡県田他郡函南町
身長
176㎝
体重
62㎏
契約
2010年7月1日~2014年6月30日
移籍金
130万ユーロ(約1億5000万円)
年棒
推定180万ユーロ(約2億1500万円)
プロデビュー
2006年3月5日 Jリーグ第1節 vsサンフレッチェ広島戦
代表デビュー
2008年1月26日 国際親善試合 vsチリ戦
シャルケ公式サイト
 http://www.schalke04.de/



シーズン
所属クラブ
リーグ
成績
背番号
2006シーズン
鹿島アントラーズ
Jリーグ
41試合出場2得点
20
2007シーズン
鹿島アントラーズ
Jリーグ
44試合出場1得点

2008シーズン
鹿島アントラーズ
Jリーグ
国内:27試合出場1得点
ACL:6試合出場1得点

2009シーズン
鹿島アントラーズ
Jリーグ
国内:35試合出場0得点
ACL:7試合出場1得点

2010シーズン
鹿島アントラーズ
Jリーグ
国内:9試合出場0得点
ACL:7試合出場1得点

2010/11シーズン
シャルケ04
ブンデスリーガ
国内:31試合出場0得点
UCL:11試合出場0得点
22
2011/12シーズン
シャルケ04
ブンデスリーガ
国内:
EL:
22



タイトル
鹿島アントラーズ
Jリーグ
2007シーズン、2008シーズン、2009シーズン
天皇杯
2007年
ゼロックススーパーカップ
2009年、2010年
Jリーグベストイレブン
2008シーズン、2009シーズン
シャルケ04
DFBポカール
2011年
ドイツスーパーカップ
2011年
日本代表
AFCアジアカップ
2011年





海外日本人選手ユニフォーム
▲シャルケユニフォーム特設コーナー(内田篤人マーキング入りユニ取扱い)▲



日本代表2012ユニフォームバナー
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内田篤人ユニフォームギャラリー
ギャラリー掲載中の写真は、内田篤人がプロのキャリアをスタートしてから現在に至るまで着用したモデルです。
掲載中の現行モデルの通販は当サイト別館「シャルケユニフォーム」「日本代表ユニフォーム」特設ページにてご案内中。
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鹿島アントラーズ2006/2007ホームユニフォーム
アントラーズ2006/07
ホームユニフォーム

鹿島アントラーズ2008ホームユニフォーム
アントラーズ2008
ホームユニフォーム

鹿島アントラーズ2008アウェイユニフォーム
アントラーズ2008
アウェイユニフォーム

鹿島アントラーズ2009ホームユニフォーム2内田篤人
アントラーズ2009
ホームユニフォーム

鹿島アントラーズ2010ホームユニフォーム
アントラーズ2010
ホームユニフォーム

鹿島アントラーズ2010アウェイユニフォーム
アントラーズ2010
アウェイユニフォーム

シャルケ10-12ホームユニフォーム22内田篤人
シャルケ10-12
ホームユニフォーム

シャルケ10-11ホームユニフォーム22内田篤人チャンピオンズリーグ
シャルケ10-11
UCLホームユニフォーム

シャルケ10-11アウェイユニフォーム22内田篤人
シャルケ10-11
アウェイユニフォーム

シャルケ09-11サードユニフォーム22内田篤人UEFAチャンピオンズリーグ
シャルケ10-12
UCLサードユニフォーム

シャルケ11-12ホームユニフォーム22内田篤人EL
シャルケ11-12
ELホームユニフォーム

シャルケ11-12アウェイユニフォーム22内田篤人
シャルケ11-12
アウェイユニフォーム

シャルケ11-12アウェイユニフォーム22内田篤人EL
シャルケ11-12
ELアウェイユニフォーム

シャルケ11-12サードユニフォーム22内田篤人
シャルケ11-12
サードユニフォーム

シャルケ11-12サードユニフォーム22内田篤人EL
シャルケ11-12
ELサードユニフォーム

シャルケ11-12サードユニフォーム22内田篤人2011ドイツカップ決勝
シャルケ11-12サード
2011ドイツカップ決勝


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日本代表08ホームユニフォーム
日本代表2008
ホームユニフォーム

日本代表08アウェイユニフォーム
日本代表2008
アウェイユニフォーム

日本代表2010ホームユニフォーム
日本代表2010
ホームユニフォーム

日本代表2010アウェイユニフォーム
日本代表2010
アウェイユニフォーム

日本代表2012ホームユニフォームフォーモーション
日本代表2012
ホームユニフォーム

日本代表2012アウェイオーセンティックユニフォーム
日本代表2012
アウェイユニフォーム






[ 2010/11/21 17:50 ] 内田篤人 | TB(0) | CM(0)

長谷部誠ユニフォーム特集(ヴォルフスブルク)Hasebe Makoto football shirts 

長谷部誠。ヴォルフスブルクユニフォームの背番号13、日本代表ユニフォームの背番号17。精度の高いクロス、深い位置からでも敵の急所を突く鋭いパスを供給可能な広い視野を持つ。日本代表のキャプテンにして攻守の要。ボランチのファーストチョイス。ヴォルフスブルクではサイドハーフ、ボランチ、サイドバックなど複数ポジションをこなすユーティリティープレーヤーだ。


ヴォルフスブルク11-12ホームユニフォーム13長谷部誠ブンデスパッチ
ヴォルフスブルク11-12ホーム

ヴォルフスブルク10-12アウェイユニフォーム13長谷部誠
ヴォルフスブルク10-12アウェイ

日本代表2012ホームユニフォームフォーモーション
日本代表2012ホーム


走力、対人能力、戦術理解力に優れ、巧みな駆け引きができるのはヴォルフスブルクでSBに起用されることからも明らか。素早いチェックとカバーリングで組織に安定感をもたらし、果敢なファイトや汚れ役に徹することをいとわない献身的プレーでチームに貢献。派手さはなくても彼がもたらす影響は非常に大きい。海を渡った先人達が作り上げたテクニックがあり、ファンタスティックなパスを出せる日本人像。そんなイメージに当てはまらない長谷部誠のプレースタイルは、日本人フットボーラーの新たなイメージを構築しつつある。

1984年生まれ。出身はフットボールの街・静岡県藤枝市。3才になると地元ランカーFCでサッカーを始め、小3の時に青島東スポーツサッカー少年団へ入団。中学時代は市立青島中サッカー部でプレー。藤色のユニフォームで知られる名門・藤枝東高校進学後は高2まで無名の存在だった。高3になりレギュラーの座を射止め右サイドハーフとして活躍。2002年に高校卒業と同時に浦和レッズへ入団した。


浦和レッドダイヤモンズ(URAWA RED DIAMONDS)
レッズでは鈴木啓太とダブルボランチを組んだ2004シーズンに主軸へ急成長。ドリブル突破や鋭いパスなど、リスクを省みない攻撃でピッチを駆け抜けJリーグ2ndステージ優勝に貢献。Jベストイレブンに選出されるなど、スタープレーヤーの階段を一気に駆け上がった。2006年2月にジーコジャパンのアメリカ遠征に招集。2月10日、サンフランシスコ・SBCパークで行われた国際親善試合vsアメリカ戦55分から、背番号17の日本代表06ユニフォームを着て35分間プレー。21才23日でフル代表デビューを飾る。

2006年3月、バイエルンが視察に訪れるなどにわかに周囲が騒がしくなりはじめ、2007年6月に欧州サッカー2007夏の移籍マーケットで長谷部誠獲得を目論むイタリアのシエナから非公式オファーが届く。日本王者としてアジアチャンピオンズリーグ制覇を目標に掲げるレッズの強い慰留を受けた長谷部誠は海外移籍を封印。レッズ残留を選択する。チームは2007シーズン国内無冠に終わるものの、最大の目標であるACL決勝に進出。11月14日に本拠地で行われたACL決勝2ndレグでイラン王者セパハンを2-0で下し優勝。12月7日~16日に行われたFIFAクラブワールドカップ2007では全3試合に出場。アフリカ王者のエトワール・サヘルとのPK戦を制しCWC3位となり、浦和におけるキャリアを締めくくった。


ヴォルフスブルク(VfL Wolfsburg-Fusßball GmbH)
2008年1月24日、レッズ公式サイトでヴォルフスブルク完全移籍手続き完了が発表され、6年間プレーしたチームに別れを告げ新天地ドイツへ旅立つ。2月2日のブンデスリーガ第18節vsビーレフェルト戦後半開始から出場しブンデスデビュー!! 2007/2008シーズン途中加入にもかかわらず、右サイドハーフのレギュラーとしてリーグ後半戦17試合中16試合出場。4月27日の第30節vsレヴァークーゼン戦43分に移籍後初得点を記録した。クラブ史上初となるブンデスリーガ制覇を果たした2008/2009シーズンは、優勝争い真っ只中のシーズン終盤に右SBへコンバート。マイスターをめぐりタフなプレッシャーがかかる中、ぶっつけ本番状態の不馴れなポジションなんのそのと5月16日のリーグ戦第33節vsハノーバー戦14分と79分にサイドを切り裂き、クロスから2アシスト、5月23日のリーグ戦最終節vsブレーメン戦6分の先制ゴールに絡むなど攻守に活躍。日本人として奥寺康彦以来、2人目となるマイスターシャーレをその手で掲げたのだった。2009/2010シーズンはUCLに初出場。超満員のオールド・トラッフォードで開催された、2009年9月30日のグループB第2節vsマンチェスター・ユナイテッド戦56分に右サイドから絶妙クロスを供給。先制点をアシストしユナイテッドを大いに慌てさせた。試合は3-1で敗れたが、UCLの大舞台においてマンU相手のガチンコ勝負で結果を出し、欧州トップレベルでも攻撃力が通用する確かな手応えを得た。

2010年6月末の契約切れが迫った4月27日、推定年俸100万ユーロ(約1億4000万円)、最大4億5000万円に達するオプションつきでヴォルフスブルクと2012年6月末まで2年間の契約延長にサイン。同年5月30日の国際親善試合vsイングランド戦から日本代表のキャプテンを務め、2010ワールドカップ南アフリカ大会では6月14日のグループ初戦vsカメルーン戦から6月29日の決勝トーナメント1回戦vsパラグアイ戦まで全4試合に出場。2002年の自国開催WC以外で初のベスト16入りに貢献した。4度目の優勝を果たした2011アジアカップカタール大会は全6試合に出場。1月25日の準決勝vs韓国戦122分にベンチに退いた以外、5試合で先発フル出場する。1月13日のグループリーグvsシリア戦35分に松井のバックパスを右インサイドで冷静に押し込み先制ゴールを決め、2009年11月18日以来となる代表2得点目を記録。

欧州サッカー2011夏の移籍市場においてプレミア行きが噂されたが、2011年7月21日にヴォルフスとの契約延長交渉がまとまり、2012年6月末満了の契約を2014年6月末まで契約延長のサインを交わしている。


長谷部誠 基本情報
本名
長谷部誠
欧文
Hasebe Makoto
愛称
ハセ
ポジション
MF
背番号
13
生年月日
1984年1月18日
国籍
日本
出身地
静岡県藤枝市
身長
180㎝
体重
72㎏
契約
2016年6月
移籍金
0円
年棒
調査中
プロデビュー
2002年5月12日 ナビスコカップ グループD第6節vs名古屋グランパス
代表デビュー
2006年2月11日 国際親善試合vsアメリカ代表
公式ブログ
http://ameblo.jp/makoto-hasebe17
ヴォルフスブルク公式サイト
http://www.vfl-wolfsburg.de/



シーズン
所属クラブ
リーグ
成績
背番号
2002
浦和レッドダイヤモンズ
Jリーグ
1試合出場
32
2003
浦和レッドダイヤモンズ
Jリーグ
38試合出場4得点
17
2004
浦和レッドダイヤモンズ
Jリーグ
39試合出場9得点
17
2005
浦和レッドダイヤモンズ
Jリーグ
45試合出場6得点
17
2006
浦和レッドダイヤモンズ
Jリーグ
42試合出場3得点
17
2007
浦和レッドダイヤモンズ
Jリーグ
国内:34試合出場1得点
ACL:11試合出場2得点
CWC:3試合出場
17
2007/2008
ヴォルフスブルク
ブンデスリーガ
17試合出場1得点
13
2008/2009
ヴォルフスブルク
ブンデスリーガ
国内:27試合出場
EL:6試合出場1得点
13
2009/2010
ヴォルフスブルク
ブンデスリーガ
国内:25試合出場1得点
UCL:6試合出場
EL:2試合出場
13
2010/2011
ヴォルフスブルク
ブンデスリーガ
24試合出場
13
2011/2012
ヴォルフスブルク
ブンデスリーガ

13



タイトル
浦和レッドダイヤモンズ
Jリーグ
2006年
天皇杯
2005年、2006年
ナビスコカップ
2003年
XEROX SUPER CUP
2006年
AFCチャンピオンズリーグ
2007年
ヴォルフスブルク
ブンデスリーガ
2008/2009シーズン
日本代表
AFCアジアカップ
2011年





海外日本人選手ユニフォーム
▲ヴォルフスブルクユニフォーム特設コーナー▲



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長谷部誠ユニフォームギャラリー
ギャラリー掲載中のユニは、長谷部誠がプロのキャリアをスタートしてから現在に至るまで着用したモデルです。
現行モデルの通販は当サイト「ヴォルフスブルクユニフォーム」、別館「日本代表ユニフォーム」特設ページでご案内中。
特設ページは上記掲出の海外日本人選手バナー、日本代表バナーをクリックするとジャンプ可能。ぜひお立ち寄りください!



浦和レッズ2005ホームユニフォーム
浦和レッズ2005
ホームユニフォーム

浦和レッズ2006ホームユニフォーム
浦和レッズ2006
ホームユニフォーム

浦和レッズ2006アウェイユニフォーム
浦和レッズ2006
アウェイユニフォーム

浦和レッズ2007ホームユニフォーム
浦和レッズ2007
ホームユニフォーム

浦和レッズ2007アウェイユニフォーム
浦和レッズ2007
アウェイユニフォーム

ヴォルフスブルク07-08ホームユニフォーム
ヴォルフスブルク07-08
ホームユニフォーム

ヴォルフスブルク08-09ホームユニフォーム13長谷部誠
ヴォルフスブルク08-09
ホームユニフォーム

ヴォルフスブルク08-09アウェイユニフォーム
ヴォルフスブルク08-09
アウェイユニフォーム

ヴォルフスブルク09-10ホームユニフォーム13長谷部誠
ヴォルフスブルク09-10
アウェイユニフォーム

ヴォルフスブルク10-11ホームユニフォーム13長谷部誠
ヴォルフスブルク10-11
ホームユニフォーム

ヴォルフスブルク10-12アウェイユニフォーム13長谷部誠
ヴォルフスブルク10-12
アウェイユニフォーム

ヴォルフスブルク11-12ホームユニフォーム13長谷部誠ブンデスパッチ
ヴォルフスブルク11-12
ホームユニフォーム

日本代表06ホームユニフォーム
日本代表06
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[ 2010/11/09 03:05 ] 長谷部誠 | TB(0) | CM(0)

本田圭佑ユニフォーム特集(CSKAモスクワ)Honda Keisuke football shirts 

本田圭佑。CSKA(チェスカ)モスクワユニフォームの背番号7。ロシアプレミアリーグではロシア語表記のXOHDA、欧州チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグなど国際大会では、英語表記のHONDAとマーキングされたユニを着用する。日本代表ユニフォームの背番号は18。両腕に時計を巻くなど独自スタイルを構築する男は、プロになる前から強気な性格で言葉で主張するタイプ。本田語録なる一連の発言で一昔前までビッグマウスと呼ばれたが、現在は有言実行の男、日本サッカー界を牽引する男として誰もが認める存在。トップ下にこだわり、将来はレアルマドリードの10番になると公言して憚らない。


CSKAモスクワ11-12ホームユニフォーム7本田圭佑
CSKAモスクワ11-12
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CSKAモスクワ11-12ホームユニフォーム7本田圭佑UCL
CSKAモスクワ11-12ホーム
UEFAチャンピオンズリーグ

CSKAモスクワ11-12アウェイユニフォーム7本田圭佑
CSKAモスクワ11-12
サードユニフォーム


欧州のフットボーラーと互角に渡り合える強靭なフィジカルに宿るのは、失敗や挫折をステップアップの推進力に転換する逞しいメンタル。ゴールに対する貪欲さは誰にも引けを取らず、ミドルレンジから放つ強烈なシュート、ナックル式無回転FKでGKを強襲する。スピードに欠けるため、自ら裏に抜け出すような機動力が求められるプレーは不得手だが、高いキープ力や左足から繰り出す長短のパスは一級品。相手の急所を鋭く突けるのは、広範囲を見渡せる視野、更には局面を読む状況判断能力と優れた戦術眼を持つが故である。攻撃的プレーヤーとして守備も上手く、走行距離は標準以上。指摘されがちだった運動量の少なさは、もはやどこにも見当たらない。

1986年6月13日に大阪府で生まれ、小2の時に入った地元の摂津FCで本格的にサッカーを始め、中学生になるとガンバ大阪ジュニアユースに入団。家長、安田とは同期に当たる。フィジカルの弱さを理由にガンバユース昇格叶わず石川県の星稜高校に進学。高1では左WB、高2では左SBを経験し、高3進級直前の2004年3月23日から特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加。7月24日、ヤマザキナビスコカップ予選リーグ最終節vsジュビロ磐田戦で背番号39のユニを着て、プロデビュー前にJ公式戦のピッチに立った。9月に仙台で開催された第2回仙台カップ国際ユースサッカー大会にU-18日本代表として召集。全3試合にフル出場し初めて日の丸を背負って戦う。トップ下にコンバートされた高校最後の全国選手権でチームをベスト4に導き、2005年に名古屋グランパスエイトに入団した。


名古屋グランパスエイト(Nagoya Grampus Eight)
主に左サイドバック、左ウイングバックを担ったグランパス時代の背番号は24。2005年4月28日のJリーグvsヴェルディ戦15分プロ初ゴールを記録。同年夏にU-20日本代表としてワールドユースに出場。無回転のブレ球を操るようになった2006シーズンは、公式戦34試合出場8ゴールをマーク。11月11日のアジアカップ予選vsサウジアラビア戦にA代表に初召集されたが、出番なく終わる。


VVVフェンロ(Venlose Voetbal Vereniging Venlo)
名古屋と契約が切れた2008年1月、推定年俸41万ユーロ(約6400万円)の契約をVVVフェンロと交わし欧州サッカー登竜門のオランダへ移籍。1月20日に入団会見を行うと、その1時間後に始まったvsPSV戦にベンチ入り。後半から途中出場しエールディヴィジデビューを飾る。3月15日の第29節vsフェイエノールト戦13分にFKを直接決め移籍後初得点を記録している。6月22日の2010WCアジア地区3次予選vsバーレン戦でスタメンに名を連ね、背番号17の日本代表08ユニフォームを着てA代表デビュー。背番号8の日本代表08ユニで全3試合に出場した。

北京オリンピック後、2部落ちしたフェンロに合流。背番号10が与えられ、トップ下にコンバートされた本田圭佑は、2008/2009シーズンに急激な変貌を遂げる。「ゴール前では絶対にパスをださない」「前が空いていたらシュートを打つ」「点をとることがすべて」。パスに美学を見出だしていた男が、過去を完全否定する意識改革を断行。破竹の勢いでゴールを量産しリーグ戦16得点13アシストの大ブレーク。フェンロの2部優勝&1部復帰の原動力となり、エールステディヴィジMVPを受賞した。優勝の熱狂覚めやらぬ2009年5月27日のキリンカップvsチリ戦では、92分にゴールネットを揺らし日本代表初得点を挙げている。欧州サッカー2009夏のメルカートで移籍を熱望する本田圭佑。リヴァプール、リヨン、PSVなど複数クラブが興味を示すも、1000万ユーロ(約13億円)の移籍金がネックとなり交渉まとまらず冬の移籍マーケット直前の2009年12月にCSKAモスクワが本田獲得レースに参戦すると、移籍の流れは一気に加速。12月31日に移籍金900万ユーロ(約12億円)の4年契約、推定年俸100万ユーロ(約1億3000万円)でCSKA入りが発表された。


CSKAモスクワ(Professional Football Club Central Sports Club of Army Moscow)
新天地CSKAモスクワ初年度からボランチとして活躍。2010年3月12日のロシアプレミアリーク開幕戦vsアムルカ戦ではロスタイムに突入した93分に劇的決勝弾を決め移籍後初得点を決めた。欧州中が騒然となったFKが炸裂したのはその4日後、3月16日にサンチェス・ピスファンで行われたUEFAチャンピオンズリーグ2009/2010決勝T1回戦vsセビージャ戦2ndレグだ。先制ゴールをアシストし勢いに乗る本田圭佑。56分にゴール右45度、約30メートルの地点から必殺の無回転FKを叩き込み2戦合計3-2とし、下馬評を覆しセビージャ撃破、クラブ史上初のUCLベスト8進出に力を尽くしたのである。

6月11日から6月12日に行われたFIFAワールドカップ2010南アフリカ大会に召集。グループステージvsカメルーン戦39分にWC初ゴールを記録。vsデンマーク戦17分にクセ球ジャブラニを見事操り、ナックル式の無回転FKをゴールネットに突き刺す。ワントップとして全4試合に先発し、3試合でマン・オブ・ザ・マッチに輝いた本田圭佑は、ホーム以外でのベスト16という日本代表過去最高の結果の原動力となった。2011年1月7日から29日にカタールで開催されたアジアカップに召集。司令塔として全5試合にフル出場。激しい攻防を繰り広げた1月25日の準決勝vs韓国戦含め2試合でマン・オブ・ザ・マッチに選出。日本代表4度目のアジア制覇に貢献し、大会MVPを獲得している。

ロシア2年目の2011シーズンは、ハムストリングの故障で出遅れたが4月に入り復調。トップ下、攻撃的MFに入りCSKA攻撃の推進力を担う。ロシアカップファイナルvsアラニヤ戦では、決勝ゴールをアシストするクロスを供給しロシア移籍後初タイトルを獲得。5月25日に行われたリーグ戦vsクリリア・ソベトフ戦でCSKA初の1試合2得点を記録するなど、攻撃の起点として存在感を見せつけた。ちょうどこの時、欧州サッカーは2011夏のメルカート真っ只中。6月末にユベントス移籍を有力視するニュースがイタリアで流れると、PSGが移籍金1200万ユーロ(約13億円)、ブラックバーンが移籍金1500万ポンド(約15億円)のオファーをしたとの報道も。だが、クラブが設定した移籍金2500万ユーロ(約29億円)に到底及ばず、移籍マーケットはクローズしたのである。2012冬の移籍市場で本田圭佑移籍の噂が再燃。メルカート序盤はPSG移籍が囁かれたが、1月に入るとラツィオが本命に急浮上。マーケットがクローズする直前まで続いた交渉は最終的に合意に至らず。移籍は2012夏のメルカートに持ち越しとなった。


本田圭佑 基本情報
本名
本田圭佑
欧文表記
Keisuke Honda
愛称
ケイスケ、ホンディー
ポジション
ミッドフィールダー
背番号
CSKAモスクワ:7、日本代表:18
生年月日
1986年6月13日
国籍
日本
出身地
大阪府摂津市
身長
182cm
体重
74㎏
契約
2010年1月1日~2013年12月31日
移籍金
900万ユーロ(約12億円)
年棒
推定100万ユーロ(約1億3000万円)
プロデビュー
2005年3月5日 J1第1節vsジェフユナイテッド千葉戦
代表デビュー
2008年6月22日 2010ワールドカップ南アフリカ大会
アジア地区3次予選vsバーレーン戦
本田圭佑公式WEB
http://www.keisuke-honda.com/index.php
本田圭佑公式ブログ
http://ameblo.jp/honda-estilo/




シーズン
所属クラブ
リーグ
成績
背番号
2004シーズン
名古屋グランパスエイト
(星稜高校在学)
Jリーグ
1試合出場
39
2005シーズン
名古屋グランパスエイト
Jリーグ
35試合出場2得点
24
2006シーズン
名古屋グランパスエイト
Jリーグ
34試合出場8得点
24
2007シーズン
名古屋グランパスエイト
Jリーグ
35試合出場3得点
24
2007/2008シーズン
VVVフェンロ
エールディヴィジ
14試合出場2得点
29
2008/2009シーズン
VVVフェンロ
エールステディヴィジ
37試合出場16得点
10
2009/2010シーズン
VVVフェンロ
エールディヴィジ
20試合出場8得点
10
2010シーズン
CSKAモスクワ
ロシアプレミアリーグ
33試合出場4得点
CL09/10:4試合出場1得点
EL10/11:7試合出場1得点

18(CL)
11-12シーズン
CSKAモスクワ
ロシアプレミアリーグ
20試合出場7得点
CL11/12:





タイトル
オランダ
VVVフェンロ
2008/2009シーズン
CSKAモスクワ
コパ・デル・ソル
2010年
ロシアカップ
2011年
日本代表
AFCアジアカップ
2011年
個人タイトル
エールステディヴィジMVP
2008/2009シーズン
日本年間最優秀選手賞
2010年
AFCアジアカップ2011MVP
2011年




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▲CSKAモスクワユニフォーム特設コーナー(本田圭佑マーキング入りユニ取扱い)▲



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本田圭佑ユニフォームギャラリー
ギャラリー掲載中のユニは、本田圭佑がプロのキャリアをスタートしてから現在に至るまで着用したモデルです。
掲載中の現行モデルの通販は当サイト別館「CSKAモスクワユニフォーム」「日本代表ユニフォーム」特設ページでご案内中。
特設ページは上記掲出の海外日本人選手バナー、日本代表バナーをクリックするとジャンプ可能。ぜひお立ち寄りください!



名古屋グランパスエイト2007ホームユニフォーム
名古屋2007ホームユニフォーム

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フェンロ09-10ホームユニフォーム

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CSKAモスクワ10-11ホーム
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CSKAモスクワ10-11アウェイ
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CSKAモスクワ10-11ホームユニフォーム7本田圭佑
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CSKAモスクワ10-11
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[ 2010/10/16 20:05 ] 本田圭佑 | TB(0) | CM(0)

香川真司ユニフォーム特集(Kagawa Shinji football shirts) 

香川真司。マンチェスター・ユナイテッドユニフォームの背番号26。日本代表ユニフォームでは中村俊輔以降、空位となっていたエースナンバー10を継承。闘争心に溢れ、闘うマインドを何よりも大切にする攻撃的MF。沸き上がる豊かなイマジネーションと研ぎ澄まされた集中力、日本人のストロングポイントである俊敏な動きでバイタルエリアを活性化。華麗なドリブル、ポジショニングのよさや絶妙なファーストタッチで包囲網をスルリ潜り抜け、果敢にシュートを放つ。スピードに乗ったドリブルで仕掛けても、DFのマークを外して前線に素早く飛び出しても、持ち前の柔らかいボールタッチは何ら変わらず。タフなプレッシャーが掛かるゴール前にて冷静沈着なプレーができるのは、揺るぎない自信の現れに他ならない。


マンチェスター・ユナイテッド12-13ホームユニフォーム26香川真司
マンチェスター・ユナイテッド
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マンチェスター・ユナイテッド12-13アウェイユニフォーム26香川真司
マンチェスター・ユナイテッド
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2010年夏、セレッソ大阪からシュバルツゲルベン(黒と黄)の愛称で呼ばれるボルシア・ドルトムントへ移籍し、欧州主要リーグでプレーする平成生まれ初のフットボーラーに。奇しくも21才の渡欧は、パイオニア・中田英寿のセリエA挑戦と同年齢である。ワールドカップ2010南アフリカ大会後に発足したザッケローニジャパンでは主力を担い、アジアカップ2011より空位となっていた日本代表ユニフォームの背番号10を継承した。


1989年に兵庫県で生まれ、5才の頃に神戸のマリノFCで香川真司はサッカーを始め、小5になると神戸NKサッカークラブに加入。中学から高2の冬まで、ドリブル重視の哲学を唱える仙台のFCみやぎバルセロナで練習に励み、持ち前の柔らかいボールタッチ&ドリブルセンスを徹底的にブラッシュアップした。東北代表として出場した2005年9月の仙台国際ユースサッカー大会では、DFに内田、吉田、槇野、安田らを並べるU-18日本代表を翻弄。3得点に絡むパフォーマンスで日本代表を5-2で破る番狂わせを演じ、一躍、Jリーグスカウト陣注目の存在となる。

セレッソ大阪(Cerezo Osaka Football Club)
2005年12月19日にセレッソ大阪入団が内定。2006年早々に正式契約を結びプロフットボーラーのキャリアをスタート。2年目の2007シーズン、機敏な動きと高いスキルを持つ18才の若者は、レヴィー・クルピ監督によりボランチからトップ下にコンバートされレギュラーに定着した。2シャドウの一角を担った2008シーズンに攻撃力が開花し、J2で16ゴール10アシストをマーク。左MFとして全3試合に出場した北京オリンピック直前に岡田ジャパンから声がかかり、2008年5月24日のキリンカップvsコートジボワール戦で同世代トップを切りA代表デビュー!! 背番号26の日本代表08ホームユニフォームを着用し初陣を飾った。代表初ゴールが生まれたのは10月9日の国際親善試合vsUAE戦。70分に中村俊輔と交代したその僅か2分後、歴代日本代表3番目に若い19才6ヶ月でゴールネットを揺らす。ミスター・セレッソ、森島の背番号8を継承した2009シーズンは、44試合出場27ゴールを挙げJ2得点王に。チーム悲願のJ1復帰の原動力となったのである。

欧州サッカー2010夏のメルカート真っ只中の2010年7月1日、推定年俸8000万円の複数年契約でボルシア・ドルトムントへ完全移籍。同年1月3日に1年間の契約延長にサインており、移籍金が発生して然るべきところだが、香川とセレッソが結んでいた契約内容によって移籍金は一切発生せず。代わりに育成金の名目で、ドルトムントからセレッソに4000万円が支払われた。

ボルシア・ドルトムント(BV Borussia 09 Dortmund)
ドルトムント1年目に、香川真司の進化のギアがシフトアップしたのはご存じの通り。前評判「アジアのロシツキ」は伊達ではなく、2010年8月5日のマンチェスター・シティ戦で決めた決勝ゴールほか、プレシーズンマッチからゴールを量産。9月14日に行われたドイツ最大の熱量を誇るレヴィアーダービーでは、宿敵シャルケ相手に恐るべき集中力を発揮。ドイツ代表GKノイアーが立ちはだかるゴールを20分にこじ開け先制弾を突き刺すと、58分にチーム3点目のボレーを決め3-1の勝利に貢献。レヴィアーダービー1年ぶりの白星をもたらした英雄は、一夜にしてドルトムントのアイドルに駆け上がる。ダービーから10日後の9月28日、UEFAが『香川という宝石を掘り当てたドルトムント』とい特集記事を公式サイトに掲載するほど、そのインパクトは強烈であった。「23 KAGAWA」マーキング入りレプリカユニフォームは販売枚数チームNo.1を記録し、ドルトムントの顔として名物・クリスマスユニフォームのモデルへと大抜擢。また、ドイツで最も権威あるキッカー誌2010年11月18日号のカバーを飾るなど、ドルトムント快進撃の推進力たる香川真司の勢い止まるところを知らず。ウィンターブレイクまでに17試合出場8得点を記録し、ブンデスリーガ首位独走の立役者として2010/2011シーズン前半戦MVPに選出された。

2011年1月7日~29日にカタールで開催されたAFCアジアカップ2011に召集。グループリーグは不発に終わるが、準々決勝vsカタール戦は2得点1アシストと大暴れ。だが、ライバル韓国と激突した1月25日の準決勝で右足小指付け根を骨折し、アジアカップ決勝vsオーストラリア戦を前にカタールから去っていった。今季絶望とまで言われた重傷に心折れることなくリハビリを続けた結果、5月14日に本拠地シグナル・イドゥナ・パルクで行われたブンデスリーガ最終節vsフランクフルト戦にベンチ入り。香川真司応援歌の大合唱に促され、88分からドルトムント11/12ユニフォームをまとい途中出場。早期実践復帰を果たした。代表復帰戦となったのは、ホーム韓国戦13年ぶりの白星を挙げた8月10日の日韓戦。この一戦で香川真司は全3点中2点を叩きだし3-1快勝に大貢献。復活の狼煙を上げた。

2011/2012シーズン前半戦は長期離脱による感覚のズレ、一連の活躍で厳しさを増したマークにより、以前の輝きを取り戻すまでには至らず。レヴィアーダービーのようにベンチスタートに甘んじる一方で、11月23日のアーセナル戦で欧州チャンピオンズリーグ初ゴールを記録。ブンデスリーガ頂上対決となった敵地開催、11月19日のvsバイエルン戦65分に決勝点をアシストするなどメンタルもコンディションも完全に回復基調に乗った。ウィンターブレイク後、あの目映い輝きを取り戻し再び熱狂の中へ。ドルトムントのアイドルから真の中心プレーヤへと変貌を遂げた香川真司が掴んだ確かな手応えは、キッカー誌やEMS(欧州スポーツ雑誌協会)が選出する欧州月間ベストイレブン常連という評価に直結していく。後半戦初戦となった2012年1月22日の第18節vsハンブルガー戦16分にグロスクロイツの先制弾をアシストすると、続く28日の第19節vsホッフェンハイム戦ではドリブル突破によるゴール含め2度ネットを揺らし、昨シーズン9月のレヴィアーダービー以来となる1試合2得点をマーク。2月11日の第21節vsレバークーゼン戦45分には、スルーパスからDFの裏に抜け出し先制決勝弾を放った。3月に入ると第24節vsマインツ戦、第26節vsブレーメン戦、第27節vsケルン戦で決勝ゴールを叩き込み素晴らしいパフォーマンスを披露。2試合を残してブンデス頂点へ王手をかけた4月21日の第32節vsボルシアMG戦では、59分にカウンターからレバンドフスキのパスをトップスピードで受ると、GKをワンタッチで素早く交わして無人のゴールへ左足で流し込み待望の追加点奪取に成功!! 今季集大成とも言えるリーグ戦13ゴール目が連覇の祝砲となり、ドルトムントがブンデスリーガ11/12シーズンのチャンピオンに輝いたのだった。

リーグ戦終了後の5月12日、マドリーを下しUCLファイナル進出を決めたバイエルン・ミュンヘンとドイツカップ決勝で激突。キレキレの香川は開始わずか3分で先制点を挙げ、前半アディショナルタイムにレバンドフスキのゴールをアシストするなど、チーム全5ゴール中4点に絡む活躍でシーズン2冠達成に貢献。リーグ戦13ゴール、公式戦16ゴールの記録を残して2011/2012シーズン公式戦全日程を終えた。

マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United Football Club)
ビルト誌選出のブンデスリーガ年間ベストイレブン、EMS選出の年間ベストイレブンに名を連ねた若き才能との契約は2013年6月末まで。ドルトムントが契約延長に躍起になる一方で、2011/2012シーズン終盤よりビッグクラブ移籍が囁かれはじめた。4月4日にビルト紙がプレミア移籍の可能性を示唆。4月21日にACミランが関心を持っているとイタリアのトゥットスポルト紙が報じる。4月末に契約延長を断ると、移籍の流れが一気に加速。5月24日、前述のドイツカップ決勝を視察したファーガソン監督率いるマンUが、移籍金1700万ユーロ(約17億円)でオファー、5月29日にマンU移籍でほぼ合意とキッカー誌が伝えた。

香川真司獲得レースは、中盤強化と世代交代が急務のユナイテッドがを制し、6月5日に移籍交渉が合意に達したことをクラブ公式サイトで発表。6月21日に渡英し翌22日にメディカルチェックをパスし、就労ビザ取得も済ませ移籍手続きが完了。ここにおいて、世界屈指の名門マンチェスター・ユナイテッドのユニフォームに袖を通す初の日本人プレーヤーが誕生したのである。契約期間は2012年7月1日~2016年6月30日までの4年間で、移籍金は1700万ユーロ(約17億円)+出来高で最高2200万ユーロ(約22億円)となる模様。年俸は推定350万ユーロ(約3億5000万円)。背番号はユナイテッド栄光の系譜、7が噂されたが、セレッソ大阪時代に2年間つけていた26となることが7月3日に決定。ドイツで得た自信を糧に更なる飛躍を目指す香川真司は7月11日よりチームに合流。翌12日にファーガソン監督同席のもと、本拠地オールド・トラッフォードで入団会見が行われ、「プレッシャーもあると思うが、それを喜びに変えて自分のパフォーマンスを披露したい」と新天地での決意を語った。



香川真司 基本情報
本名
香川真司
欧文
Shinji Kagawa
愛称
シンジ
ポジション
ミッドフィールダー
背番号
26
生年月日
1989年3月17日
国籍
日本
出身地
兵庫県神戸市
身長
172㎝
体重
63㎏
契約
2016年6月末まで4年契約
移籍金
出来高制で最高約21億3000万円(推定)
年棒
3億5000万円(推定)
プロデビュー
2007年4月7日 J2第7節vsサガン鳥栖戦
代表デビュー
2008年5月24日 キリンカップvsコートジボワール戦
公式サイト
http://www.kagawashinji.com/
公式Facebook
http://www.facebook.com/shinjikagawa?sk=app_4949752878
マンU公式サイト
http://www.manutd.com/en.aspx
代理人公式サイト
トーマス・クロート:http://fussball.jp/column.html



シーズン
所属クラブ
リーグ
成績
背番号
2006
セレッソ大阪
J1
出場試合なし
29
2007
セレッソ大阪
J2
36試合出場7得点
26
2008
セレッソ大阪
J2
35試合出場16得点
26
2009
セレッソ大阪
J2
44試合出場27得点

2010
セレッソ大阪
J1
12試合出場7得点

2010/2011
ボルシア・ドルトムント
ブンデスリーガ
国内:20試合出場8得点
EL:6試合出場2得点
23
2011/2012
ボルシア・ドルトムント
ブンデスリーガ
国内:36試合出場16得点
UCL:6試合出場1得点
23
2012/2013
マンチェスター・ユナイテッド
プレミアリーグ
国内:
EL:
26



タイトル
セレッソ大阪
J2
2009シーズン
リーグ得点王
2009シーズン(J2)
ボルシアドルトムント
ブンデスリーガ
2010/2011シーズン、2011/2012シーズン
DFBポカール
2011/2012
リーグMVP
2010/2011シーズン前半戦
日本代表
AFCアジアカップ
2011年
その他
キッカー誌選出
ブンデスリーガ年間ベストイレブン2010/2011、2011/2012
ビルト紙選出
ブンデスリーガ年間ベストイレブン2011/2012
ESM選出
欧州年間ベストイレブン2011/2012
英スポーツ・マガジン選出
最優秀若手選手2010/2011




マンチェスター・ユナイテッド12-13ホームユニフォーム価格比較表
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香川真司ユニフォームギャラリー
ギャラリー掲載中のユニは、香川真司がプロのキャリアをスタートしてから現在に至るまで着用したモデルです。
現行モデルは当サイト別館「ドルトムントユニフォーム」「日本代表ユニフォーム」特設ページにて確認可能です。
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セレッソ大阪2007ホームユニフォーム
セレッソ大阪2007
ホームユニフォーム

セレッソ大阪2007アウェイユニフォーム
セレッソ大阪2007
アウェイユニフォーム

セレッソ大阪2008ホームユニフォーム
セレッソ大阪2008
ホームユニフォーム

セレッソ大阪2009ホームユニフォーム8香川真司
セレッソ大阪2009
ホームユニフォーム

セレッソ大阪2010ホームユニフォーム
セレッソ大阪2010
ホームユニフォーム

セレッソ大阪2010アウェイユニフォーム
セレッソ大阪2010
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[ 2010/10/02 17:59 ] 香川真司 | TB(0) | CM(0)

【川島永嗣ユニフォーム】リエルセ10/11ホームGKユニ販売情報 

リエルセ10/11GKユニフォーム川島永嗣ネームナンバー入りユニフォームの海外直輸入に
フットボールプラスが成功!! このエントリーを書きながら「川島永嗣 リエルセ」
「リエルセ ユニフォーム」でググって見たが、検索にヒットしたサッカーショップは皆無。
どうやら日本で一番早い販売開始のようである。当の川島、開幕からリエルセのゴールを
守っているが、チームは4連敗と最下位と調子はいまひとつ。しかしながらリエルセの
2010/2011シーズンは始まったばかり。今後の躍進に期待!!

川島永嗣リエルセ10/11ホームGKユニフォーム

※サッカーユニフォーム詳細は画像をクリックして当サイト別館にてどうぞ!!



[ 2010/09/19 23:30 ] 川島永嗣 | TB(0) | CM(0)











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