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岡崎慎司。シュツットガルトユニフォームの背番号31。
日本代表ユニフォーム の背番号9。1986年4月16日生まれ。兵庫県宝塚市出身。ポジションはシュツットガルトでは左サイドハーフ、日本代表ではフォワード。
シュツットガルト11/12ホームユニフォーム 日本代表2012ホームユニフォーム
愛読書は『武士道』。座右の銘はご存知「一生ダイビングヘッド」で、名前の代わりに「ダイビングヘッド」と書かれたプラシャツを高校時代から着ていたという話はあまりにも有名。2009年6月6日、2010ワールドカップ南アフリカ行きを敵地タシケントで決めたアジア地区最終予選ウズベキスタン戦の決勝ヘッド、そして2011年9月6、同じくタシケントで行われたワールドカップ2014ブラジル大会アジア3次予選第2戦vsウズベキスタン戦60分のダイビングヘッドによる同点弾は、まさに岡崎慎司を地で行くゴール。「ボレー禁止。ゴロでもダイビングヘッド」の勢いで小学生のころから叩き込まれた賜物である。
●清水エスパルス(Shimizu S-Pulse) 滝川第二高校卒業後、2005年に清水エスパルスに入団。無名の存在からフル代表のエースへ急成長を遂げた岡崎慎司の武器。それはディフェンスをぶち抜くスプリント能力やパワフルなポストプレー、華麗なステップを踏むテクニックではなく、スペースへの絶妙なタイミングの飛び出し&天才的なクロスへの飛び込みだ。ゴールマウスに向けられた思考と集中力はハンパなく、パスコースとマーカーのポジショニングから「ここしかない!」というスペースを瞬時に分析。ダイアゴナルなムーブメントと鋭い出足で敵の裏を突き、ワンタッチでシュートに持ち込んでみせる。中でもニアサイドは最も得意とするエリア。
彼のプレーを支えるのは、わずかなスペースでも強引に割って入ることができる体幹の強さ。DFと競り合いにも強く、ボディーバランスを崩してもリスタートが早いのは、清水入団後に陸上競技の専門家からランニング技術を吸収した成果。スペースを狙う瞬間の鋭い出足も、この走法改造により手に入れたものである。
2008年8月8日から8月24日に開催された北京オリンピックでは全3試合に出場。同年9月29日にA代表初選出され、10月9日の国際親善試合UAE戦でA代表デビューを果たす。2009年1月20日、アジアカップ予選のイエメン戦で代表初ゴールを挙げると、岡崎の勢い止まらず2009年1年間で国際Aマッチ15ゴールを記録。IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)により、この年の世界得点王に認定された。
2010年6月24日に行われたFIFAワールドカップ南アフリカ大会グループリーグvsデンマーク戦では、87分にゴールを決めW杯初ゴールを記録。帰国後、10月8日に行われた国際親善試合アルゼンチン戦19分に先制弾を放ち、アルゼンチン撃破という歴史的勝利の立役者となる。2011年1月7日~1月29日に開催された2011アジアカップに召集され6試合3得点。グループリーグvsサウジアラビア戦では代表3度目となるハットトリックを達成し、日本代表4度目のアジア制覇に貢献する。
●シュツットガルト(VfB Stuttgart 1893 e.V.) アジアカップ制覇直後の2011年1月31日に清水エスパルスからドイツ1部シュツットガルトへ移籍。主に左サイドハーフとしてブンデスリーガ2010/2011シーズン後半戦14試合中12試合に出場した。ドイツにおける岡崎慎司の変化著しく、持ち前のハードワークはそのままに、ドリブル突破で敵を揺さぶったり、低い位置でボールを受け攻撃の組み立に絡んだりするシーンが増加。得意とする裏へ飛び出すプレーが陰を潜めたのは、右サイドがスペースを狙うチーム戦術以上に北京オリンピック、ワールドカップ、アジアカップを経験して世界と戦うには個の力で状況を打開できるフットボーラーへ進化する必要を痛感したからだ。新機軸構築を目指す一方で、ストライカーたる根幹を貫くべく繰り返し最前線に侵入を試み、リーグ戦終盤の5月7日に行われた第33節vsハノーファー戦で、降格危機にあったチームのブンデス残留を決定付ける移籍後初得点をマーク。続く5月14日の最終節vsバイエルン戦でもゴールを記録し、移籍初年度わずか2ゴールながら数字以上のインパクトを残した。
10ゴールを目標に掲げた2011/2012シーズンは更に己に変化を課す。序盤は前年同スタイルを踏襲。シャルケと対戦した8月6日の開幕戦は途中出場ながらゴールネットを揺らし好スタートを切るが、ゴールへの強いこだわりが原因でシーズン途中にスタメン落ち。これを機に得点こそ我が道、得点というという考えをを修正し新たな進化をめざしシフトチェンジを敢行した。攻守切り替えの意識をより高め、ピッチを激しく往来。攻めては敵の引き付ける黒子的な役回りやフリーランニングを意図的に行うなど、チームに不足しがちなパートを積極的にこなし始める。常に全体のことを考えながら、ボール奪取とともに敵陣へ猛ダッシュ。味方に有利な状況を作る中でダイアゴナルへ走り込み、手繰り寄せたチャンスを逃さずゴールを強襲。フィニッシャーとしての力も発揮していくのだった。チーム内の誰よりもよく走り、歪んだバランスの修正役を担いながら浮上するストライカーとしての底流。タフな環境の異国の地に身を置き、化学変化を起こしつつ新たな到達点を見据えて岡崎慎司は全力疾走を続ける。
岡崎慎司 基本情報 本名 岡崎慎司 欧文 Shinji Okazaki 愛称 オカ、オカちゃん ポジション FW、MF 背番号 シュツットガルト:31 日本代表:9 生年月日 1986年4月16日 国籍 日本 出身地 兵庫県宝塚市 身長 174㎝ 体重 76㎏ 契約 2014年7月 移籍金 ゼロ円 年棒 推定130万ユーロ(約1億4500万円) プロデビュー 2005年8月8日:ヤマザキナビスコカップvs浦和 代表デビュー 2008年10月9日:国際親善試合vsUAE戦 公式ブログ http://ameblo.jp/okazaki-shinji/ ファンレター送り先 VfB Stuttgart Marketing GmbH Carl Benz Center Mercedesstraße 73 B 70372 Stuttgart GERMANY
シーズン 所属クラブ クラブ個人成績 背番号 2005 清水エスパルス(Jリーグ) 5試合出場無得点 23 2006 清水エスパルス(Jリーグ) 12試合出場無得点 23 2007 清水エスパルス(Jリーグ) 25試合出場5得点 23 2008 清水エスパルス(Jリーグ) 34試合出場11得点 23 2009 清水エスパルス(Jリーグ) 41試合出場17得点 23 2010 清水エスパルス(Jリーグ) 37試合出場16得点 23 2010/2011 シュツットガルト(ブンデスリーガ) 14試合出場2得点 31 2011/2012 シュツットガルト(ブンデスリーガ) ― 31
タイトル インターナショナル
AFCアジアカップ2011 2011年
▲シュツットガルトユニフォーム特設コーナー(岡崎マーキング入りユニ取扱い)▲
▲日本代表ユニフォーム特設コーナー(岡崎慎司マーキング対応ユニ取扱い)▲
岡崎慎司ユニフォームギャラリー ギャラリー掲載中のユニは、岡崎慎司がプロのキャリアをスタートしてから現在に至るまで着用したモデルです。 掲載中の現行モデル通販は当サイト別館「シュツットガルトユニフォーム」「日本代表ユニフォーム」特設ページでご案内中。 特設ページは上記掲出の海外日本人選手バナー、日本代表バナーをクリックするとジャンプ可能。ぜひお立ち寄りください! シュツットガルト10-11ホーム 31 岡崎慎司 シュツットガルト10-11アウェイ 31 岡崎慎司 シュツットガルト10-11サード 31 岡崎慎司 シュツットガルト10-11サード 31 岡崎慎司 ヨーロッパリーグ シュツットガルト11-12ホーム 31 岡崎慎司 Coming soon!! 日本代表08ホーム 日本代表08アウェイ 日本代表2010ホーム 日本代表2010アウェイ 日本代表2012ホーム Coming soon!!
【2005シーズン】 清水エスパルス所属。背番号23。 ルーキーイヤーは5試合出場無得点(Jリーグ1試合出場)。2004年11月18日の内定発表を経て滝川第二高校卒業後、清水エスパルス花の2005年組の1人として入団。サテライトリーグでは10試合に出場しチーム最多の4得点を挙げた。2005年8月にヤマザキナビスコカップで公式戦デビュー。12月3日に行われたJ1最終節のサンフレッチェ広島戦に途中出場し、Jリーグデビューを飾る。浦和レッズに敗れたに2006年1月1日の天皇杯決勝では故障者続出のチーム状況もあり先発フル出場を果たした。
【2006シーズン】 清水エスパルス所属。背番号23。12試合出場無得点(Jリーグ7試合出場)。 FWのポジション争いが激化。ベンチ入りもままららなず。前年同様、サテライトリーグ中心に出場。
【2007シーズン】 清水エスパルス所属。背番号23。25試合出場5得点(Jリーグ21試合出場5得点)。 清水のトップチーム、北京五輪メンバーに定着するなど、岡崎慎司飛躍のシーズン。2007年3月3日のJリーグ開幕戦vs神戸に途中出場。4月16日の第6節・川崎戦で77分に公式戦初ゴールを記録。もちろんダイビングヘッドで。U-22日本代表に召集され、6月22日のマレーシア戦に背番号11をつけ先発出場。初めて日の丸を背負いピッチに立った。6月30日のJリーグ第18節・柏戦では3得点全てに絡み岡崎慎司自ら2ゴールを挙げ大活躍。8月22日の北京オリンピックアジア最終予選ベトナム戦に召集。
【2008シーズン】 清水エスパルス所属。背番号23。34試合出場11得点(Jリーグ27試合出場10得点)。 プロ初の2ケタゴールを目標に掲げた2008シーズンだが、オリンピック前は2得点にとどまる。2008年8月8日から8月24日に開催された北京オリンピックに召集。1次リーグ3試合出場無得点。シュートはたった1本のみ。五輪以降は13試合8得点をマークし清水のエースとして台頭。帰国後初戦となった8月23日の柏戦では、北京の鬱憤ん晴らすかの如く2ゴールを決めた。その後も好調を維持し9月29日にA代表初選出。10月9日の国際親善試合UAE戦でA代表デビューを果たす。
日本代表08ホームユニフォーム 日本代表08アウェイユニフォーム
【2009シーズン】 清水エスパルス所属。背番号23。41試合出場17得点(Jリーグ34試合出場14得点)。 2009年1月20日にアジアカップ予選のイエメン戦で代表初ゴールをマーク。2月4日の国際親善試合フィンランド戦で2ゴールを挙げた。清水ではレギュラーに完全定着。J開幕戦となった3月8日の大分戦に先発出場。開幕スタメンはプロのキャリアの中で初。5月8日のキリンカップvsチリ戦で2得点。6月6日のワールドカップアジア最終予選ウズベキスタン戦で決勝ゴールを挙げ、日本のWC4大会連続出場を決めた。10月8日のアジアカップ最終予選vs香港戦、10月14日の国際親善試合トーゴ戦でハットトリック達成。日本代表として年間15ゴールをマークし、IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)よりこの年の世界得点王に認定された。Jリーグベストイレブン選出。
【2010シーズン】 清水エスパルス所属。背番号23。37試合出場16得点(Jリーグ31試合出場13得点)。 清水不動のエースとして活躍。シーズン初ゴールは2010年3月14日のJ1第2節vs山形戦。5月10日14時から行われたWCメンバー発表では、FWのトップを切って名前を読み上げられた。6月11日~7月11日に開催された2010ワールドカップ南アフリカ大会に召集され4試合全てに途中出場。6月24日に行われたグループリーグvsデンマーク戦では87分にゴールを決め、W杯初ゴールを記録。帰国後、10月8日に行われた国際親善試合アルゼンチン戦で19分に先制弾を放つ。このゴールが決勝点になり、アルゼンチン撃破という歴史的勝利の立役者となった。
日本代表2010アウェイユニフォーム
【2010/2011シーズン】 清水エスパルスからシュツットガルトへ移籍。背番号31。14試合出場2得点(ブンデスリーガ12試合出場2得点)。 2011年1月7日~1月29日に開催された2011アジアカップに召集され6試合3得点。グループリーグvsサウジアラビア戦では代表3度目となるハットトリックを決めるなど、日本代表4度目のアジア制覇に貢献。大会終了後はドイツに直行。1月30日にブンデスリーガのシュツットガルトが移籍金ゼロ円の3年契約(推定年俸130万ユーロ=約1億4500万円)で岡崎慎司獲得を発表する。しかし契約書の契約開始日に1月31日と記載があり、清水との契約終了日と重なる二重契約が判明。シュツットガルトの不誠実な対応に清水がFIFAへ提訴する騒ぎとなった。2月17日にシュツットガルト暫定登録というFIFA裁定が下され、岡崎慎司は同日行われたUEFAヨーロッパリーグ決勝トーナメント1回戦ベンフィカ戦に出場し欧州デビュー。3日後の2月20日にアウェイで行われたブンデスリーガ第23節ニュルンベルク戦に左MFとして先発出場。ブンデスデビューを果たした。公式戦10試合目となったブンデスリーガ第30節ケルン戦で初アシストを記録すると、5月7日の第33節ハノーバー96戦で移籍後初ゴールをマーク。最終節バイエルンミュンヘン戦では、25分にスライディングしながらクロスに飛び込み2試合連続でゴールネットを揺らした。
シュツットガルト10/11ホームユニフォーム シュツットガルト10/11アウェイユニフォーム
【2011/2012シーズン】 シュツットガルト所属。背番号31。 2011年8月6日にブンデスリーガ開幕。調整不足と判断された岡崎慎司は第1節vsシャルケ戦ベンチスタート。出番が回ってきたのは79分で、いつもの左サイドハーフではなく右サイドハーフに入る。89分にセンターライン付近で得たFKのリスタートからDFの隙をつき右サイドでボールを受けると、DFをかわしパワフルな左足の一撃でチーム3点目となる今季初ゴールを記録。たが、8月13日の第2節vsボルシアMG戦はベンチを温め続け、8月20日の第3節vsレバークーゼン戦は60分から途中出場と開幕3試合連続スタメンを外れた。ようやくスターティングメンバーに名を連ねたのは、1-2の逆転負けを喫した8月27日の第4節vsヘルタ・ベルリン戦だ。フル出場を果たしたヘルタ戦で、岡崎慎司は精力的に動き回り昨シーズンよりも高い位置でプレー。この「高い位置」については第5節以降も見られる傾向で、2011/2012シーズンは前線からの守備とともに攻撃面の貢献も大いに期待されているようである。今季2点目が生まれたのは、代表戦から中3日の強行軍で挑んだ9月10日の第5節vsハノーバー戦。9分にハルニクのクロスに反応し先制ゴール!!再び代表戦から中3日となった10月15日、第9節vsホッフェンハイム戦48分にゴールネットを揺らし、0-0の均衡を破る先制点をマーク。今季3点目を挙げ2-0の勝利に貢献した。10月22日の第10節vsニュルンベルク戦終了時点でリーグ戦9試合出場3得点。うち7試合に先発したが、フル出場は僅か1試合のみ。ゲーム終盤にベンチへ退くケースが多く見られる。疲れて交代ならまだしも、気になるのは体が切れている、まだ走れるという状態で退かされている点だ。シュツットガルト移籍を決断したのは「個の力で局面を打開できるフットボーラーへの進化」を自ら望んだから。個の力で局面打開。いまの岡崎慎司に物足りなさを感じるとすれば、まさにこの部分か。積極的な仕掛け。勝負所の時間帯でゴールを予感させる推進力溢れるプレー。得意とするスペースへ飛び出しパス受けるよりも、ドリブル突破でチャンスを広げるような。シュツットガルトでレギュラーの座を手中に収めるカギは、どうやらここにありそうである。
2011年9月6日にタシケントで行われた、ワールドカップ2014ブラジル大会アジア3次予選第2戦vsウズベキスタン戦に先発。敵地で先制される苦しい展開の中、60分に内田のクロスへ飛び込み必殺のダイビングヘッド炸裂させ、ウズベキスタンのゴールをこじ開けることに成功!!! 激しい攻防の末、スコアは1-1のまま動かずフルタイムに。岡崎慎司の国際Aマッチ通算22ゴール目、日本代表歴代8位となる同点弾が、チームにアウェイでの貴重な勝ち点1をもたらした。ホーム8-0の大勝を収めた10月11日のWC3次予選vsタジキスタン戦では、19分と74分にゴールネットを揺らし2得点。アウェイ0-4で勝利した11月11日のWC3次予選vsタジキスタン戦でも2ゴールをマーク。タジキスタン戦2試合4ゴールの固め打ちで代表通算ゴール数は木村和司と並ぶ26、歴代5位タイとなった。
シュツットガルト11/12ホームユニフォーム 日本代表2010ホームユニフォーム
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宮市亮。ボルトンユニフォームの背番号30。「RYO」の3文字がマーキングされたトロッターズのユニを着る左サイドアタッカー。愛称はリオ、ロナウジーニョになぞられたリオジーニョ。1992年12月14日生まれ。愛知県岡崎市出身。50メール5秒台の爆発的加速力を183cmの体から絞り出す、次世代の日本を背負うスピードスター。100メールはスプリンター並みの10秒代という驚異的な速さを誇る。
ボルトン11-12ホーム 30 宮市亮 ボルトン11-12アウェイ 30 宮市亮 日本代表2012 ホームユニフォーム
小柄なドリブラーが多い日本人にあって、183㎝、70㎏の体格&重心の低いドリーブラーは稀有な存在。慧眼を持つアーセナルの名将、アーセン・ベンゲルが惚れ込んだスピードとドリブル突破力で、アグレッシブなプレーを左サイドで魅せる。細かなステップを踏むことも、ワイドなストライドでダイナミックにボールを運ぶことも可能。巧みなフェイントと自慢の加速力を生かした縦の突破、中央に切れ込む鋭いドリブルで敵を崩しにかかる。フィニッシュのバリエーション多彩な日本人ドリブラー規格外の超新星を、世界最高ウィンガーを引き合いに出し「和製クリスティアー・ロナウド」とロンドンのメディアは報じた。
13才の時にU-14日本代表に選出されて以来、各世代の日本代表としてプレー。中2の春にフェイエノールトの下部組織に2週間の短期留学するなど、その目は早くから世界に向いていた。2008年10月、ウズベキスタンで開催されたAFCU16選手権に召集。2009年夏にはアヤックスほか複数チームのトライアルに参加。2009年11月にナイジェリアで行われたU-17ワールドカップに召集され世界の舞台を経験。翌2010年1月にドイツへ渡り1FCケルン、同年8月にアーセナルとアヤックスのトライアルにチャレンジ。8月1日~13日の約2週間に渡るアーセナルのトライアルでは、アンリやウォルコットら快足サイドアタッカーを好むベンゲル監督に、誰にも負けないと自負するスピードとフィニッシュの素晴らしさを高評価された。
宮市亮を巡っては、アーセナル、アヤックス、ケルン、フェンロ、名古屋、鹿島、浦和など国内外クラブによる争奪戦が勃発。5年の長期契約オファーが意中のクラブ、アーセナルからが届くと、ベンゲルに自らの将来を託すことを決意。9月に入団同意書にサインし仮契約をすませた。18才を迎えた12月14日、2015年6月までの正式契約を結び、12月18日にアーセナル公式サイト上にて2011年1月に宮市亮のガナーズへ入団が発表された。
宮市亮の国内最後のトーナメント、第89回全国高校サッカー選手権では大会No.1注目プレーヤーとして脚光を浴びる。中京大中京高校の左ウイングとして、三ツ沢球技場で12月31日の久御山戦に出場。2-4で敗れ1回戦で姿を消してしまったが、先制ゴールの起点、チーム2点目のゴールを叩き出すなど、90分間でベンゲルが認めたスピードと突破力を何度も披露。大会優秀選手に選出された。
フェイエノールト(Feyenoord Rotterdam) Jリーグを経由せずに欧州へ乗り込んだ宮市亮だったが、イギリスの就労ビザが下りずオランダのフェイエノールトへ期限付き移籍。18才1ヶ月23日となった2011年2月6日、エールディヴィジ2010/2011シーズン第22節vsフィッテセ戦でプロデビューすると、2月12日にフェイエの本拠地デカイプで行われた第23節vsヘラクレス戦でプロ初ゴールを記録。日本の至宝のポテンシャルを見せつけたのだった。
アーセナル(Arsenal Football Club) オランダにおける活躍を受け、プレシーズンにガナーズへ呼び戻されアーセナルのアジアツアーに参加。2011年7月13日の親善試合vsマレーシア選抜戦31分から11-12アウェイユニフォームを着て途中出場。アーセナルデビューを飾った。クラブによる当局への働きかけが実を結び、8月9日に特例でイギリスの労働ビザ取得に成功。レンタル先のフェイエノールトからアーセナルに復帰。8月12日、アーセナル公式サイトで宮市亮の背番号31決定が発表された。エールディヴィジで輝きを放ったとは言え、新たな舞台は世界最高峰のプレミアリーグ。半年前まで高校の部活に所属していたスピードスターの原石に、ベンゲル監督は『アーセナルウェイ』と呼ばれるコンビネーションを日々、叩き込み淡々と磨き上げていく。トップチームのベンチ入りを果たす一方、宮市亮はリザーブリーグに出場。持ち味の爆発的スピードを披露しつつ、着実に戦闘体制を整えていった。そして9月20日、18才280日にして宮市ついに公式戦デビュー!! カーリングカップ(フットボールリーグカップ)3回戦vsシュルーズベリー戦71分、背番号31のアーセナル11/12ホームユニフォームに着替えると勢いよくピッチに飛び出した。そして、「リオ!!」を連呼するサポへ挨拶代わりに、自陣から敵陣ペナまで40メートルを一気にドリブルで駆け上がったのである。公式戦2戦目は10月25日のカーリングカップ4回戦vsボルトン戦。73分から左MFとして途中出場し、初めて戦うプレミア勢に臆することなく何度も左サイドを切り裂きポテンシャルの高さを証明した。順調に進んでいた育成だったが、11月7日のリザーブリーグで左足首を捻挫。3週間の戦線離脱となる不測事態に見舞われてしまった。
ボルトン(Bolton Wanderers Football Club) 欧州サッカー2012冬のメルカート目前の12月、宮市亮にレンタル移籍の可能性が浮上。フェイエノールト、バランシエンヌ、フラムなど複数クラブの名前が移籍先に挙がった。プレミアのスピードと激しさの経験を積ませたい指揮官ベンゲルの意向もあり、移籍マーケット最終日となった1月31日、スピードのあるウインガーを探していたボルトン移籍が決定した。新天地ボルトンは、現在、20才にしてアーセナル主力を担うジャック・ウィルシャーかつてのレンタル移籍先だ。ウィルシャーと同じ道を歩むことになった宮市亮。2011/2012シーズン終了まで4か月間、トロッターズの武者修行で更なる成長を遂げるはずだ。
宮市亮 基本情報 本名 宮市亮 欧文 Ryo Miyaichi 愛称 リオ、リオジーニョ ポジション フォワード 背番号 34 生年月日 1992年12月14日 国籍 日本 出身地 愛知県岡崎市 身長 138cm 体重 70㎏ 契約 2011年5月(フェイエノールト) 2015年5月(アーセナル) 移籍金 年棒 プロデビュー 2011年2月6日(フェイエノールトvsフィテッセ) 代表デビュー
シーズン 所属クラブ リーグ 成績 背番号 2010-2011 フェイエノールト エールディビジ 12試合出場3得点 34 2011-2012 アーセナル プレミアリーグ 2試合出場 ※カーリングカップのみ出場 31 2011-2012 ボルトン プレミアリーグ - 30
▲ボルトンユニフォーム特設コーナー(宮市亮マーキング入りユニ取扱い)▲
▲日本代表ユニフォーム特設コーナー▲
宮市亮ユニフォームギャラリー ギャラリー掲載中の画像は、宮市亮がプロのキャリアをスタートしてから現在に至るまで着用したモデルです。 掲載中の現行モデルの通販は当サイト別館「ボルトンユニフォーム」「日本代表ユニフォーム」特設ページにてご案内中。 特設ページへは上記掲出のボルトンバナー、日本代表バナーをクリックするとジャンプ可能‼ ぜひお立ち寄りください! フェイエノールト10-11 ホームユニフォーム フェイエノールト10-11 アウェイユニフォーム アーセナル11-12 ホームユニフォーム アーセナル11-12 アウェイユニフォーム ボルトン11-12 ホームユニフォーム ボルトン11-12 アウェイユニフォーム
クリスティアーノ・ロナウド。
レアル・マドリードユニフォーム の背番号7。母国ポルトガルでもルイス・フィーゴより背番号7を継承。「7 RONALDO」とマーキングされたサッカーユニフォームを着用し、マドリーで、そしてポルトガル代表で誰よりも貪欲にゴールを狙い続ける。
レアルマドリード11-12ホーム レアルマドリード11-12アウェイ レアルマドリード11-12サード
2003年にUEFA選出の「今後注目すべき若手選手7人」に名を連ね、その5年後、23才の若さでバロンドールとFIFA最優秀選手賞をダブル受賞。世界最高ドリブラーの圧倒的攻撃力は、驚異的なスピードと超絶テクニック、類い稀なフィジカルとタフなメンタルが源。世界中を見渡しても、彼ほどすべてにおいて一級品のFWは見当たらない。
長身にも関わらず足元は非常に器用。変幻自在のシザーズ、エラシコ、ラボーナはクリスティアーノ・ロナウドの真骨頂。予測不可能な足技と俊足を生かした高速ドリブルは、DFを抜く、崩すためのテクニックというより「芸術」と表現したほうが纏を得ている。相手ゴールを脅かす打点の高いヘッド、左右どちらからでも狙えるシュート力も見逃せないところ。無回転のブレ球を操るフリーキックは、高速ドリブルと合わせて彼の代名詞である。
本名はクリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロOIH(Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro OIH)。1985年2月5日生まれ。出身はポルトガル南西1,000㎞の大西洋上に浮かぶマデイラ諸島の首都フンシャルのサン・アントニオ。サッカーを本格的にはじめたのは9才の頃で、地元の小さなサッカークラブ、CFアンドリーニャスに入団すると、その存在はすぐに島中の知るところとなりマデイラのマリティモとCDナシオナルが争奪戦を繰り広げたという。10才になった1995年にナシオナル下部組織へ移り、翌1996年には緑フープのサッカーユニフォームで知られる名門スポルティング・リスボンのセレクションをパス。ポルトガル本土へ進出を果たした。
マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United) ルイス・フィーゴほか、あまたの名プレーヤーを輩出してきた新天地リスボン下部組織で過ごした時間は、その後のクリスティアーノ・ロナウドのプレースタイルを決定づける密度の濃いものとなる。名アカデミーの燻陶を受けた天才ドリブラーは、2001年にスポルティング・リスボンと契約しプロのキャリアをスタート。2003年に移籍金23億円でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。ベッカムが抜けるなど過渡期にあったユナイテッド復権に貢献し、プレミアリーグ3連覇を筆頭にUEFAチャンピオンズリーグ、クラブワールドカップほか国内外の数々のタイトルを獲得に寄与。自身もバロンドール、FIFA最優秀選手賞に輝き世界の頂点に登り詰めている。
レアル・マドリード(Real Madrid) ユナイテッドで6年間プレーした後、2009年に史上最高額となる移籍金130億円で新天地レアル・マドリードへ。初年度の背番号は9だったが、欧州サッカー2010夏のメルカートでラウール・ゴンザレスがシャルケに移籍。彼の背番号7を受け継ぎCR7が2010/2011シーズンに1年ぶりに復活を果たしている。新指揮官ジョゼ・モウリーニョからチーム唯一の守備免除特権を与えられ、持ち前の攻撃力をいかんなく発揮し驚異のハイペースでゴールネットを揺らす。10月23日のラシン戦で自身初の1試合4ゴールをマーク。リーガ51試合目となった2011年2月6日の第22節vsレアル・ソシエダ戦20分と42分に立て続けにゴールを決め、リーグ通算50ゴールに到達。レジェンドのプスカシュの54試合、ディ・ステファノの56試合を凌ぐクラブ最速記録を達成した。同シーズンにリーガエスパニョーラ通算40得点の大記録を樹立。ウーゴ・サンチェスの38得点超えを果たし、リーガシーズン最多得点記録を塗り替えた。
2011/2012シーズンも絶好調を維持。2011年11月2日に行われた欧州CLグループリーグDvsリヨン戦でレアルマドリードにおける公式戦通算100ゴールにわずか105試合で到達。1試合平均得点は0.95点というハイアベレージを記録し、マドリー栄光の歴史にその名を刻み込んだのだ。100ゴール中、特に忘れられないゴールとして、2011年4月20日のクアトロクラシコ第2戦コパ・デル・レイ決勝vsバルセロナ戦103分に放った決勝ヘッド弾を挙げている。
ポルトガル代表(Portugal National Football Team) ポルトガル代表としてはU-15、U-16、U-17など各年代で異才を放ち、プレミアデビュー4日後の2003年8月20日に国際親善試合vsカザフスタン戦でA代表デビュー。後半開始からルイ・コスタに代わり出場しピッチに登場した。この時、クリスティアーノ・ロナウドは背番号16のポルトガル代表25アウェイ半袖ユニフォームを着用している。UEFA欧州選手権2004でユーロデビュー。大会開幕戦となった6月12日のグループA第1戦vsギリシャ戦は後半開始から出場すると、ロスタイムに入った93分に豪快ヘッドを決め代表初得点をマーク。6試合出場2得点を挙げ、クリスティアーノ・ロナウドはポルトガル代表の準優勝に貢献。得意のドリブルで数々のチャンスを生み出す19才の新星はポルトガル中を熱狂の渦に巻き込んだのである。
ワールドカップ初出場は4位躍進を果たした2006ドイツ大会。欧州大陸予選で7ゴールを挙げ、ポルトガルの主力メンバーとして人生初のWCの大舞台6試合出場1得点を挙げた。WC初ゴールは2006年6月17日のグループリーグ第2戦vsイラン戦80分にPKで決めている。2度目のワールドカップとなった2010南アフリカ大会では、チームのモチベーターたるゲームキャプテンとして挑むが、全4試合に出場してゴールネットを揺らしたのはわずか1回のみという結果に終わった。ユーロ2012予選ではグループリーグまさかの2位となり、ポルトガル代表は本大会進出をかけボスニア・ヘルツェゴビナ代表とプレーオフへ。2011年11月15日の2ndレグでは、リーガの好調ぶりを物語るかのように先制弾とチーム3点目を決めドブレーテ。ポルトガル5大会連続6回目のユーロ出場の原動力となった。
クリスティアーノ・ロナウド基本情報 本名 クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ OIH 欧文 Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro OIH 愛称 CR7、ロニー、クライベイビー ポジション FW 背番号 7 生年月日 1985年2月5日 国籍 ポルトガル 出身地 マデイラ諸島フンシャル 身長 186cm 体重 84㎏ 契約 2009年7月1日~2015年6月末 移籍金 8000万ポンド(約132億円) 年棒 1300万ユーロ(約17億4000万円) プロデビュー 2002年8月 スポルティングvsベティス(プレシーズンマッチ) 代表デビュー 2003年8月20日 ポルトガル代表vsカザフスタン代表(国際親善試合) 公式サイト http://www.cronaldo7.es/index2.php 公式フェイスブック http://www.facebook.com/Cristiano
シーズン 所属クラブ クラブ個人成績 背番号 2002-2003 スポルティング(スーペルリーガ) 31試合出場5得点 28 2003-2004 マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ) 40試合出場6得点 7 2004-2005 マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ) 50試合出場9得点 7 2005-2006 マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ) 47試合出場12得点 7 2006-2007 マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ) 53試合出場23得点 7 2007-2008 マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ) 48試合出場42得点 7 2008-2009 マンチェスター・ユナイテッド(プレミアリーグ) 47試合出場23得点 7 2009-2010 レアル・マドリード(リーガエスパニョーラ) 35試合出場33得点 9 2010-2011 レアル・マドリード(リーガエスパニョーラ) 55試合出場53得点 7 2011-2012 レアル・マドリード(リーガエスパニョーラ) ― 7
タイトル マンチェスター・ユナイテッド
FAプレミアリーグ 2006-2007、2007-2008、2008-2009 FAカップ 2003-2004 カーリングカップ 2005-2006、2008-2009 コミュニティーシールド 2007、2008 UEFAチャンピオンズリーグ 2007-2008 FIFAクラブワールドカップ 2008 リーグ得点王 2007-2008 チャンピオンズリーグ得点王 2007-2008 ゴールデンブーツ 2007-2008 バロンドール 2008 FIFA最優秀選手賞 2008 プスカシュ賞 2009 レアル・マドリード
コパ・デル・レイ 2010-2011 ゴールデンブーツ 2010-2011 ピーチ賞 2010-2011 ポルトガル代表
トゥーロン国際大会 2003
▲レアルマドリーユニフォーム特設コーナー(クリロナマーキング入り、直筆サイン入りユニ取扱い)▲
▲ポルトガル代表ユニフォーム特設コーナー(クリスティアーノ・ロナウドマーキング対応ユニ取扱い)▲ クリスティアーノ・ロナウド(Cristiano Ronaldo)ユニフォームギャラリー ギャラリー掲載中の画像は、CR7がプロのキャリアをスタートしてから現在に至るまで着用したモデルです。 現行モデルの通販は当サイト「レアルマドリードユニフォーム」、別館「ポルトガル代表ユニフォーム」特設ページでご案内中。 特設ページは上記掲出のマドリーバナー、ポルトガル代表バナーをクリックするとジャンプ可能。ぜひお立ち寄りください スポルティング02-03ホーム マンチェスターUTD 03-04ホーム 7 ロナウド UCL マンチェスターUTD 04-06ホーム マンチェスターUTD 05-06ホーム 7 ロナウド UCL マンチェスターUTD 06-07ホーム マンチェスターUTD 06-07アウェイ 7 ロナウド マンチェスターUTD 07-09ホーム マンチェスターUTD 07-08ホーム 7 ロナウド UCL マンチェスターUTD 08-09アウェイ 7 ロナウド UCL マンチェスターUTD 08-09サード 7 ロナウド レアル・マドリード09-10ホーム レアル・マドリード10-11ホーム 7 ロナウド レアル・マドリード11-12ホーム 7 ロナウド レアル・マドリード11-12ホーム 7 ロナウド UCL レアル・マドリード11-12アウェイ 7 ロナウド レアル・マドリード11-12サード 7 ロナウド Coming Soon!! Coming Soon!! ポルトガル代表02アウェイ ポルトガル代表04ホーム ポルトガル代表06ホーム 17 ロナウド W杯2006 ポルトガル代表08ホーム ポルトガル代表2010ホーム 7 ロナウド W杯2010 ポルトガル代表2010アウェイ 7 ロナウド W杯2010
●2002/2003シーズン スポルティング・リスボン所属。背番号28。31試合出場5得点(リーグ戦25試合出場3得点ほか)。 2002年8月に17才6ヶ月でトップチーム昇格。プレシーズンマッチvsベティス戦70分から途中出場し初出場&初ゴールを非公式ながら記録。8月14日のUEFAチャンピオンズリーグ予備予選3回戦1stレグvsインテル戦58分から途中出場し公式戦デビュー。スーペルリーガデビューは68分から途中出場した9月28日の第5節vsブラガ戦。10月7日の第6節vsモレイレンセ戦に先発フル出場し、得意のドリブル突破から33分に公式戦初ゴールを挙げクラブ最年少得点記録を更新した。終了間際の90分にはこの日2点目となるゴールを挙げリスボンに3-0の勝利をもたらす。10月26日の第8節vsボアビスタ戦89分に決勝ゴールを決め2-1の勝利に貢献。デビューシーズンはリーグ戦25試合中10試合スタメン起用された。
U-21ポルトガル代表に招集され、2003年6月にフランスで開催されたトゥーロン国際大会に出場。メッシやルーニーが出場した同大会決勝ではイタリアを下しポルトガルを優勝に導き、同世代では格の違いを見せつけた。
スポルティング 02-03ホームユニフォーム ポルトガル代表 02ホームユニフォーム
●2003/2004シーズン マンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。40試合出場6得点(プレミアリーグ29試合出場4得点、UEFAチャンピオンズリーグ5試合出場ほか)。 世界最高プレーヤーの原石、クリスティアーノ・ロナウドをめぐりビッグクラブが激突。2003年8月6日に行われたプレシーズンマッチ、マンチェスター・ユナイテッド戦が彼を欧州サッカーの表舞台へ導く運命の一戦となる。親善試合ゆえガチンコ勝負ではないものの、ユナイテッド守備陣を手玉にとったスピードと足技は、以前から興味を持っていたティーンエイジャー獲得を決断させるのに十分なパフォーマンス。試合後、マンチェスター・ユナイテッドは欧州サッカー2003夏の移籍市場において、トゥーロン国際大会直後にアクションを起こしたリヴァプール先行中のクリスティアーノ・ロナウド獲得レースに本格参戦を果たした。ここに、レッドデビルズとレッズのプレミア場外戦が勃発。ビッグクラブのプライドをかけた熾烈な獲得レースが予想されたが、マンチェスター・ユナイテッドは18才の若者に破格の移籍金1224万ポンド(約23億円)を提示し短期決戦に持ち込む。運命の一戦からわずか6日後の8月12日に電撃戦を制したユナイテッドは、クラブ史上初のポルトガル人プレーヤーと推定年俸約3億円の5年契約を交わした。ドーバー海峡を渡りオールド・トラッフォードへやって来たクリスティアーノ・ロナウドに用意された背番号。それは、ジョージ・ベスト、エリック・カントナ、デイビッド・ベッカムら一時代を築きあげたプレーヤーと同じナンバー7。ベッカム移籍直後に空位となったマンUスタープレーヤーの系譜たる栄光の背番号の継承者に指名されたのは、ポルトガルの新鋭にファーガソンが寄せる期待の大きさといえよう。2003年8月17日のプレミアリーグ開幕戦vsボルトン戦61分に万雷の拍手に迎えられ勢いよくピッチに飛び出すと、挨拶代わりとばかりに得意のドリブルとフェイントでボルトンを切り崩し、膠着気味のゲームを活性化。オールド・トラッフォードの大観衆を大いに沸かせ、18才6ヶ月のプレミアデビュー戦を4-0の勝利で飾る。デビュー戦で彼が着用したのはvodafoneロゴの02-04ホーム長袖ユニフォームだった。8月27日の第3節vsウォルバーハンプトン戦でスタメン初出場。11月1日の第11節vsポーツマス戦でFKからプレミア初得点を記録。2004年3月20日の第29節vsトッテナム戦、4月10日の第32節vsバーミンガム・シティ戦、プレミアリーグ最終戦となった5月15日の第38節vsアストンヴィラ戦でもゴールを挙げた。5月22日のFAカップ決勝vsミルウォール戦前半終了間際に先制弾をヘッドで叩き込み3-0の勝利に貢献。キャリア初タイトルはユナイテッドにとって1999年以来となるこのFAカップであった。
UEFAチャンピオンズリーグは2003年10月1日のグループステージ第2節vsシュトゥットガルト戦に出場。UCL本戦初出場を果たす。決勝トーナメント1回戦でモウリーニョ率いるポルトに敗れるまで、クリスティアーノ・ロナウドはフル出場2試合を含めUCL2003/2004シーズン5試合に出場した。
プレミアデビュー4日後の2003年8月20日に国際親善試合vsカザフスタン戦に招集。ルイ・コスタに代わり後半開始から出場し、スコラーリ指揮下のポルトガルA代表デビューを果す。この時、クリスティアーノ・ロナウドは背番号16のポルトガル代表25アウェイ半袖ユニフォームを着用している。
2004年6月12日から7月4日に母国開催のEURO2004に招集。大会開幕戦となった6月12日のグループA第1戦vsギリシャ戦後半開始から出場。ロスタイムに入った93分に豪快ヘッドを決め代表初得点。1-2と敗れたギリシャ戦で一矢を報いるゴールを決める。2-0で勝利した6月16日の第2戦vsロシア戦は後半途中出場。ルイ・コスタのゴールをクロスからアシスト!! この試合以降、クリスティアーノ・ロナウドは全試合スタメンに名を連ねることとなった。6月30日の準決勝vsオランダ戦でデコのCKをヘッドで合わせ先制ゴール。直後にユニを脱ぐパフォーマンスによりイエローカードを受けるオマケがついている。2-1でオランダを下したポルトガルは欧州選手権ファイナルに進出。開幕戦同一カードとなった7月4日のユーロ2004決勝vsギリシャ戦は0-1で敗れ優勝を逃したが、得意のドリブルで数々のチャンスを生み出し、全6試合出場2得点を挙げたが19才の新星にポルトガル中が熱狂したのだった。2004年8月13日から29日に行われたアテネオリンピックに招集。2試合出場1得点を挙げるがポルトガル代表はグループリーグ敗退。
マンチェスターユナイテッド 03-04UCLホームユニフォーム マンチェスターユナイテッド 03-04ホーム長袖ユニフォーム ポルトガル代表 04ホームユニフォーム
●2004/2005シーズン マンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。50試合出場9得点(プレミアリーグ33試合出場5得点、UEFAチャンピオンズリーグ8試合出場ほか)。ブラヴォー賞受賞。 出場試合が50試合に到達したユナイテッド2年目。局面を打開してもボールを離さずチャンスを潰す、攻撃の流れを断ってしまう。そんな光景が見受けられたシーズンだった。2004年12月4日のプレミアリーグ第16節vsサウサンプトン戦にフル出場し今季14試合目にして初ゴールを記録。2005年1月22日の第24節vsアストンヴィラ戦、2月1日の第25節vsアーセナル戦と2戦連発。アーセナル戦では移籍後初の1試合2ゴールをマーク。3月19日の第30節vsフラム戦で決めた先制点が決勝弾となり1-0の勝利に貢献した。2年連続ファイナルに駒を進めた5月21日のFAカップ決勝vsアーセナルはPK戦4-5で敗れ連覇ならず。ユナイテッドは2004/2005シーズン無冠に終わる。クリスティアーノ・ロナウドはイタリアのスポーツ専門誌グエリン・スポルティーヴォ主催の、ヨーロッパ最優秀若手サッカー選手に贈られるブラヴォー賞を受賞する。
マンチェスター・ユナイテッド 04-06ホームユニフォーム マンチェスター・ユナイテッド 03-05アウェイユニフォーム マンチェスター・ユナイテッド 03-05サードユニフォーム
●2005/2006シーズン マンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。47試合出場12得点(プレミアリーグ33試合出場9得点、UEFAチャンピオンズリーグ8試合出場1得点ほか)。FIFPro最優秀若手選手賞授賞。 クリスティアーノ・ロナウド覚醒前夜となる2005/2006シーズンは、シーズン通算ゴール数が12となり初の2桁得点を記録する。今季初ゴールは10月29日のプレミアリーグ第11節vsミドルスブラ戦90分に決めたヘディングシュート。このゴールはユナイテッドにとってプレミア通算1000ゴール目のメモリアル弾となる。12月31日の第20節vsボルトン戦で2ゴールを記録。2006年1月14日の第22節vsマンチェスター・シティ戦66分にプレミア初のレッドカードで退場。出場停止明けの2月4日の第25節vsフラム戦、2月11日の第26節vsポーツマス戦で2試合連続2得点。3月4日の第28節vsウィガン戦73分に同点ゴールを挙げた。2006年2月26日のカーリングカップ決勝vsウィガン・アスレティック戦59分にゴールを決め4-0の勝利に貢献し優勝。ユナイテッドは1992年以来となる同大会のタイトルを獲得した。プレミアはチェルシーに連覇されクラブ史上初3シーズン連続V逸。
2005年8月9日のUEFAチャンピオンズリーグ予備予選3回戦vsデブレツェニ戦にゴールネットを揺らしUCL初得点をマーク。本戦ではグループステージ全6試合に出場。無得点に終わっている。
2006年6月9日から7月9日にドイツで開催された2006FIFAワールドカップに招集。欧州大陸予選で7ゴールを挙げ、ポルトガルの主力メンバーに成長したクリスティアーノ・ロナウド人生初のWCが始まる。6月17日のグループリーグ第2戦vsイラン戦80分にPKを決めワールド杯初ゴール。PK戦にもつれ込んだ7月1日の準々決勝vsイングランド戦で5人目のキッカーとして登場。ベスト4をかけたこのPKを冷静に沈めセミファイナルに進出を自らの手で決る。7月5日の準決勝vsフランス戦、7月8日の3位決定戦vsドイツ戦に敗れはしたものの、ポルトガル代表はワールド杯4位の好成績を収め、クリスティアーノ・ロナウドは6試合出場1得点の結果を残した。
マンチェスター・ユナイテッド 05-06UCLホームユニフォーム マンチェスター・ユナイテッド 05-06アウェイユニフォーム ポルトガル代表 06ホームユニフォーム
●2006/2007シーズン マンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。53試合出場23得点(プレミアリーグ34試合出場17得点、UEFAチャンピオンズリーグ11試合出場3得点ほか)。PFA年間最優秀選手賞、PFA年間最優秀若手選手賞、FWA年間最優秀選手賞授賞。 ルーニー、そしてテベスと破壊力抜群の攻撃陣を形成し34試合出場したリーグ戦で得点ランキング2位となる17ゴールを記録。エゴを捨て去ることが自身の評価に繋がることを学んだ証しとして、アシストは14を数えユナイテッド4年目に看板選手へと変貌を遂げる。5-1で大勝した2006年8月20日のリーグ戦第1節vsフラム戦19分にゴールを決め、プレミアリーグ開幕戦初ゴールを記録。11月にプレミアリーグ月間MVPを獲得すると、翌12月も破竹の勢いでゴールを重ね6試合7得点。2か月連続で月間MVP獲得し、ロビー・ファウラー、ベルカンプに続くプレミア10年ぶり3人目の快挙を達成した。ニューカッスルを2-0で下した10月1日のプレミアリーグ第7節以降、首位を守り抜いたユナイテッドは2007年5月5日の第36節で2試合を残しチェルシーのリーグ3連覇を阻み3シーズンぶりにプレミア制覇。クリスティアーノ・ロナウドは初めてプレミアの優勝カップを手にした。4月13日にはユナイテッドと2012年まで契約延長に合意。
UEFAチャンピオンズリーグでは7-1で大勝した2007年4月10日の準々決勝2ndレグvsローマ戦で1試合2得点を挙げUCL本戦初ゴールを記録。4月24日の準決勝1stレグvsミラン戦で先制点をヘッドで決めUCLで2戦連発。しかし、カカ擁するミランに敗れベスト4で敗退。
代表戦では2007年2月7日の国際親善試合vsブラジル代表戦で、初めてポルトガル代表のキャプテンマークを巻く。
マンチェスター・ユナイテッド 06-07ホームユニフォーム マンチェスター・ユナイテッド 06-07アウェイユニフォーム
●2007/2008シーズン マンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。48試合出場42得点(プレミアリーグ34試合出場31得点、UEFAチャンピオンズリーグ11試合出場8得点ほか)。PFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞、ゴールデンブーツ受賞、プレミアリーグ得点王、UEFAチャンピオンズリーグ得点王獲得。 ハードワークを厭わないルーニとテベスのサポートを受け、得点力をさらに増したクリスティアーノ・ロナウドは、マンチェスター・ユナイテッド所属中トップスコアを叩きだし欧州フットボールシーンを席巻する。2007年8月5日のコミュニティー・シールドはPK戦の末、0-3でチェルシーを破り優勝。4年ぶりにオールド・トラッフォードへトロフィーを持ち帰った。8月15日のプレミアリーグ第2節vsポーツマス戦85分に一発レッドで退場となり3試合出場停止に。9月29日の第8節vsバーミンガム・シティ戦51分に今季プレミア初ゴールを決めると、続く10月6日の第9節vsウィガン戦で今季初の1試合2得点を決め4-0快勝に貢献。12月に入ると12月1日の第15節vsフラム戦、12月23日の第18節vsエヴァートン戦の1試合2得点含め6試合で7得点をマーク!! ここから一気にゴール数を増やしていく。2008年1月12日のプレミアリーグ第22節vsニューカッスル戦でキャリア初のハットトリック達成。2-0でポーツマスを下した1月30日の第24節と、同じく2-0でボルトンを下した3月19日の第29節では全ゴールを決める活躍をした。なお、ボルトン戦はマンUのゲームキャプテンを初めて任されている。圧巻だったのは4-0でアストンヴィラに圧勝した3月29日の第32節。17分にCKのこぼれ球をヒールキックで先制点を決めると、ルーニの2ゴール、テベスの1ゴールをアシストし全ゴールに絡む素晴らしいパフォーマンスを発揮。リーグ戦終盤、チェルシーとのプレミア優勝争いは5月11日の最終節にもつれ込み、ユナイテッドはウィガンと対戦する。この試合でCR7は先制PKを決め2-0の勝利に貢献。マンUはプレミアリーグ2連覇を果たし完全復活の狼煙を上げたのだった。プレミアリーグ2007/2008シーズン通算ゴール数を最終節で31としたクリスティアーノ・ロナウドは、アデバヨールに7点差をつけキャリア初の得点王を獲得。チームのレジェンド、ジョージ・ベストが保持するユナイテッド最多得点記録を更新するとともに、リーグ最多得点記録に並びイングランドサッカー史にその名を刻み込んだ。2008年4月にPFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞2年連続ダブル授賞の快挙も達成。
UEFAチャンピオンズリーグも絶好調で、2007年9月19日のグループステージ第1節vsリスボン戦62分にダイビングヘッドで先制ゴール! 古巣リスボンを1-0で下す。10月23日の第3節vsディナモ・キエフ戦で2度ゴールネットを揺らしUCL初の1試合2得点を記録。ユナイテッドはグループステージを首位で通過し、CR7は5試合出場5得点を挙げた。2008年3月4日の決勝トーナメント1回戦2ndレグvsリヨン戦で決勝点となる先制ゴールを挙げると、4月1日の準々決勝1stレグvsローマ戦39分に電光石火のジャンピングヘッドを叩き込む・バルセロナを撃破した準決勝までに大会通算7得点をマーク。プレミア頂上決戦となったCLファイナルの大舞台を迎えた。5月21日にモスクワのルジニキスタジアムで行われたチャンピオンズリーグ2008決勝vsチェルシー戦26分に右クロスをヘッドで合わせUCL8点目をマークしたが45分にチェルシーが同点に追いつく。その後スコアは延長戦でも動かず雨中の激闘はPK戦へ。3人目のキッカーを任されたクリスティアーノ・ロナウド、ワンフェイント入れるもGKにセーブされまさかの失敗。4人連続成功したチェルシーは5人目テリーが決めれば優勝という場面で痛恨のミスキック。PK戦はサドンデスに突入した。勝負がついたのは7人目。守護神ファンデルサールがアネルカのPKをセーブしマンUは1999年以来9年ぶりとなる3度目の欧州制覇。クリスティアーノ・ロナウドは初めてビッグイヤーを手にし、UCL通算8得点で初の得点王に輝いた。
ルイス・フィーゴの後継者として背番号7のサッカーユニフォームを受け継ぎ、UEFA欧州選手権2008予選で8ゴールを挙げポルトガル代表を牽引。2008年6月7日から29日にスイスとオーストリア共催のユーロ2008に招集。6月11日のグループA第2節vsチェコ代表戦64分に初めてゴールネットを揺らすが、このゴールが今大会唯一の得点。6月19日の準々決勝vsドイツ代表戦に2-3で敗れ、優勝候補最右翼の下馬評むなしくポルトガル代表はベスト8で姿を消した。
マンチェスター・ユナイテッド 07-09UCLホームユニフォーム ポルトガル代表 08ホームユニフォーム ポルトガル代表 08アウェイユニフォーム
●2008/2009シーズン マンチェスター・ユナイテッド所属。背番号7。47試合出場23得点(プレミアリーグ33試合出場18得点、UEFAチャンピオンズリーグ12試合出場4得点ほか)。バロンドール、FIFA最優秀選手賞受賞。 欧州サッカー2008夏の移籍市場にて、2年前からクリスティアーノ・ロナウドに触手を伸ばしていたレアルマドリード移籍の噂が一大騒動に発展。レアル移籍をファーガソンに懇願するなど揉めに揉めた末、CR7ユナイテッド残留が決まった。結果的にマンUラストイヤーとなる2008/2009シーズンは、3冠、そしてバロンドール&FIFA年間最優秀選手賞ダブル受賞の偉業達成をモチベートに戦い抜く。2008年8月10日のコミュニティーシールドでポーツマスをPK戦で破り優勝。11月15日のプレミアリーグ第13節vsストークシティ戦4分と89分にゴールを挙げ2得点をマーク。このうち1点目は、自身のマンチェスター・ユナイテッド通算100ゴールのメモリアル弾。12月11日から21日に日本で行われたFIFAクラブワールドカップ全2試合に出場。12月18日の準決勝vsガンバ大阪戦46分にゴールを記録。12月21日の決勝vsリガ・デ・キト戦73分にルーニーのゴールをアシストし1-0の勝利に貢献。CWCの頂点に立ったユナイテッドは2度目の世界制覇を果たした。
2007/2008シーズンのプレミアとチャンピオンズリーグの2冠、さらにはトップスコアラーの実績が決定打となり、「子供の頃から夢見ていた」というフランスのサッカー専門誌『フランス・フットボール』選出の欧州サッカー最高の栄誉、バロンドールを12月2日に受賞。446ポイントを獲得し、2位メッシに165ポイント差をつけてる圧勝劇で欧州No.1プレーヤーの座に就く。翌2009年1月11日には、FIFA年間最優秀選手賞も手に入れサッカー界における最も権威あるタイトルをダブル受賞。背番号7のマンチェスター・ユナイテッドユニフォームを着た歴代レジェンドに肩を並べた。
3月2日のカーリングカップ決勝vsトッテナム戦では、PK戦の末にスパーズを下しユナイテッド3度目の優勝。4月5日のプレミアリーグ第31節vsアストンヴィラ戦14分と80分に2ゴールを記録。151回目のマンチェスターダービーとなった5月10日の第36節vsマンチェスター・シティ戦18分に先制ゴールをクリスティアーノ・ロナウドが決め2-0の勝利に貢献。5月16日の第34節vsアーセナル戦はスコアレスドローに終わったが、勝ち点1を積み上げ最終節直前にプレミア優勝を決めチームはプレミア3連覇達成。CR7のリーグ戦通算18ゴールは、チェルシーのアネルカ19ゴールに次ぐ得点ランキング2位。
昨シーズン8得点から今季は4得点にゴール数が半減したUEFAチャンピオンズリーグ。グループステージではなんと無得点だったが、決勝Tに入ると見事息を吹き返し4ゴールを叩きだす。今季UCL初ゴールは2009年3月11日の決勝トーナメント1回戦2ndレグvsインテル戦49分。チーム2点目のゴールを決め2-0でインテルを下す。4月15日の準々決勝1stレグvsポルト戦では4分に放った弾丸ミドルが決勝点となり1-0でポルトを退けた。このシュートは翌2009年のプスカシュ賞に選出されるほど衝撃的一撃である。5月5日の準決勝2ndレグvsアーセナル戦で2ゴールを記録し3-1でガナーズをねじ伏せ、ローマのスタジオ・オリンピコで行われるUCLファイナルへ。マンU最後の試合となった5月27日のチャンピオンズリーグ2009決勝vsバルセロナ戦は2-0で完敗。クリロナ3冠の夢破れる。
マンチェスター・ユナイテッド 08-09UCLアウェイユニフォーム マンチェスター・ユナイテッド 08-09UCLサードユニフォーム
●2009/2010シーズン レアル・マドリード所属。背番号9。35試合出場33得点(リーグ戦29試合出場26得点、UEFAチャンピオンズリーグ6試合出場7得点ほか)。プスカシュ賞授賞。 欧州サッカー2009夏の移籍市場が開くと、3年ぶりにマドリー会長に復帰したフロレンティーノ・ペレスの新プロジェクト、新銀河系軍団最重要メンバーとして6月26日に白い巨人へ移籍。「人生最大の目標」「少年の頃からの憧れ」と自ら語るレアル・マドリードメンバーとなる夢がついに叶った。『ジダン・アンド・パボネス』をコンセプトに、ジダンらスター選手とカンテラ出身のパボンら若手との融合を図った第1次銀河系。これに対して第2次銀河系のコンセプトは『タレンティザシオン』。ワールドクラスのプレーヤーを可能な限りピッチに送り込むというシンプルかつ、野望に満ちた発想だ。新銀河系のアイコンたるクリスティアーノ・ロナウドをサンティアゴ・ベルナベウへ呼び寄せるため、マドリーはユナイテッドの要求を飲み移籍金8000万ポンド(約132億円)を一括払い。2001夏のメルカートでジダン獲得に要した移籍金レコード、7696万ユーロ(約104億円)を軽く超える史上最高額の移籍金は、今後よほどのサプライズや世界経済の好転など好条件が重ならない限り破られることはないだろう。参考までに、夏のメルカートでレアルは史上空前の約350億円を投資。狂気の補強にあって1/3の資金が彼を引き抜くために使われた。世界を騒然とさせた一連の移籍劇は、7月6日にサンティアゴ・ベルナベウで行われた入団発表でクライマックスに達する。クリスティアーノ・ロナウドのユニフォーム姿を一目見ようと、スタジアムに押し寄せたマドリディスタは実に8万人。神様・マラドーナのナポリ移籍時に記録した7万5000人を抜くワールドレコードを樹立する。8月に入ると、彼の両足に9000万ポンドの保険をクラブが掛けたことがわかり、3度、世界をあっと言わせたのだった。
クリスティアーノ・ロナウド初のレアルマドリードユニフォームは、アディダス2009強豪チーム向けテンプレート『Campeon(カンペオン)』を採用した09/10ユニ。マーキングされた背番号9はキャリア初のナンバーで、1950年代にUEFAチャンピオンズカップ5連覇を達成した黄金期のレジェンド、アルフレッド・ディ・ステファノが着けていた背番号である。レアル移籍後初ゴールは7月28日のピースカップvsリガ・デ・キト戦。リーガエスパニョーラデビューとなった8月29日の第1節vsデポルティーボ・ラコルーニャ戦では、ラウールが得たPKを決めリーガ初ゴールを記録した。9月12日の第2節vsエスパニョール戦で試合終了直前の90分にチーム3点目のゴールを決めた。5-0で快勝した9月20日の第3節vsシェレス戦ではミドルとヘッドでリーガ初の1試合2得点。9月23日の第4節vsビジャレアル戦開始2分にハーフライン付近から快速を飛ばしたドリブル突破からゴールネットにミドルを突き刺し開幕から4試合連続ゴールを記録。9月30日のUCLマルセイユ戦で捻挫した右足首が10月10日のワールドカップ予選で悪化し、11月25日のUCLチューリッヒ戦まで戦線離脱を余儀なくされてしまう。クリスティアーノ・ロナウドにとって初のクラシコ、11月29日サンティアゴ・ベルナベウで行われたリーガ第12節vsバルセロナ戦は0-1で敗れノーゴール。12月5日の第13節vsアルメリア戦でゴールを決めるがイエロー2枚で退場処分に。2011年1月24日の第19節vsマラガ戦35分、39分に立て続けにゴールネットを揺らしたものの、後半にヒジ打ちで一発レッドで退場となった。出場停止明け2月13日の第22節vsシェレス戦、3月25日の第28節vsヘタフェ戦、5月2日の第35節vsオサスナ戦で1試合2得点をマーク。レアルとバルサが同勝ち点で並びカンプ・ノウで開催された4月10日の第31節、伝統のクラシコは2-0で完封負け。首位陥落&リーガ連勝が12でストップしてしまう。クリスティアーノ・ロナウドは好機を決められず、またもやクラシコ無得点だった。
4月に入ると1枚85ユーロ(約10800円)のマーキング入りレプリカユニフォームが、マドリード市内だけで120万枚、約130億円売り上げたことが発表された。これは、ベッカムが保持していたクラブレコード100万枚を楽勝で上回る新記録。本拠地のレプリカユニ売上げだけで、クラブは移籍金を回収してしまった計算になる。
5月5日の第36節vsマジョルカ戦では圧巻のゴールショーを演じリーガ初のハットトリック達成。5-1でビルバオを粉砕した5月9日の第37節では、22分に今季リーガ26点目となる先制PKを決めゴールラッシュの口火を切った。怪我とレッドガードによる出場停止でリーグ戦29試合出場にとどまったが、リーガ1年目に26ゴールを挙げ得点ランキングはメッシ34ゴール、イグアイン27ゴールに次ぐ3位。マドリディスタが大きな期待を寄せた新銀河系は、勝ち点96というクラブ新記録を樹立するもバルセロナに勝ち点3及ばずリーガ2位であった。
UEFAチャンピオンズリーグでは2009年9月15日のグループステージ第1節vsチューリッヒ戦、9月30日の第2節vsマルセイユ戦、12月8日の第6節vsマルセイユ戦でドブレーテ(1試合2得点)を記録。4試合に出場したグループステージで3度ドブレーテを達成し7ゴールをマークした。決勝トーナメント1回戦vsリヨン戦は、敵地で開催された2010年2月15日の1stレグを1-0で落としてしまう。後がないレアル。サンティアゴ・ベルナベウで行われた3月10日の2ndレグを1-1で引き分けるという失態を演じ、6シーズン連続ベスト16敗退。コパ・デル・レイは4回戦で2部所属ADアルコルコンに足元をすくわれ、早々と姿を消していたため4シーズンぶりの無冠に終わった。
2010年6月11日から7月11日まで南アフリカで開催された2010FIFAワールドカップに招集。ブラジル、コートジボワールが同居する死の組グループG初戦、6月15日のvsコートジボワール戦でクリスティアーノ・ロナウドはゴールポスト直撃弾を放つがスコアレスドロー。7-0で大勝した6月21日の第2戦vs北朝鮮戦87分にチーム6点目を決め2010ワールドカップ初ゴールを記録する。6月25日の大一番、第3戦vsブラジル戦を0-0で引き分けブラジルに次ぐ2位で決勝トーナメント進出を決めた。6月29日の決勝トーナメント1回戦ではスペインと対戦。大会屈指の好カードはポルトガル代表が0-1で敗れ大会から姿を消す。全4試合にフル出場したCR7。21本シュートを放つもゴールネットを揺らしたのは僅か1回。不完全燃焼に終わる。
レアル・マドリード 09-10ホームユニフォーム ポルトガル代表 2010ホームユニフォーム ポルトガル代表 2010アウェイユニフォーム
●2010/2011シーズン レアル・マドリード所属。背番号7。55試合出場53得点(リーガエスパニョーラ34試合出場40得点、UEFAチャンピオンズリーグ12試合出場6得点ほか)。ピーチ賞、ゴールデンブーツ受賞。リーガエスパニョーラ得点王獲得。 夏のメルカートでスペインの至宝ラウール・ゴンザレスがシャルケ04に移籍。クリスティアーノ・ロナウドは念願の背番号7を得、1年ぶりにCR7が復活を遂げた。新指揮官に現代サッカーのカリスマ、ジョゼ・モウリーニョを招聘して再起を計るレアルマドリード2010/2011シーズンにおいて、クリロナは唯一、守備免除の特権を与えられ、持ち前の攻撃力をいかんなく発揮。かつてない驚異のハイペースでゴールネットを揺らす。
9月18日のリーガエスパニョーラ第3節vsレアル・ソシエダ戦75分にフリーキックから勝ち越し弾を決め今季初ゴール!! 6-1でラシン・サンタンデールを粉砕した10月23日の第8節ではキャリア初の1試合4ゴールを記録。5発でビルバオを捻じ伏せた11月20日の第12節ではドブレーテを達成し好調を維持。そして迎えた今シーズン初のクラシコ、カンプ・ノウで行われた11月29日の第13節vsバルセロナ戦は、圧倒的にボールを支配され5-0の大敗を喫する。クリスティアーノ・ロナウド3度目のクラシコ、またしても無得点に終わった。歴史的敗戦直後の12月4日に行われた第14節vsバレンシア戦65分に0-0の均衡を破る先制点、86分に貴重な追加点を挙げ2-0の勝利に貢献。年が変わり2011年1月3日の第17節vsヘタフェ戦で長期離脱から復活したカカと今シーズン初競演!! 1月9日の第18節vsビジャレアル戦でハットトリックを達成した。リーガ51試合目となった2月6日の第22節vsレアル・ソシエダ戦20分と42分に立て続けにゴールを決め、リーグ通算50ゴールに到達。プスカシュの54試合、ディ・ステファノの56試合を凌ぐクラブ最速記録を樹立した。7-0でマラガに大勝した3月3日の第26節でハットトリック達成。クアトロクラシコことクラシコ4連戦初戦、1-1で引き分けた4月16日の第32節vsバルセロナ戦82分にPKを決め、待望のクラシコ初ゴールを決めたのだった。
クアトロクラシコ第2戦、4月21日のコパ・デル・レイ2011ファイナル(スペイン国王杯決勝)vsバルセロナ戦は激しい攻防となり0-0で延長に突入。延長前半にバルサのゴールをこじ開けたマドリーが1-0で逃げ切り18年ぶりに優勝! クリスティアーノ・ロナウドはレアル移籍後、初タイトルを獲得している。
6-2の大差をつけた5月7日のリーガ第35節vsセビージャ戦、4-0で快勝した5月10日の第36節vsヘタフェ戦で2試合連続ハットを記録。5月15日の第37節vsビジャレアル戦で2点を挙げ今季リーガ38点目をマーク。ウーゴ・サンチェス、サーラの持つリーガ最多得点記録に並ぶ。5月21日の最終節(第38節)はアルメリアに8-1の歴史的大勝。この試合でクリスティアーノ・ロナウドは4分にリーグ戦今季39点目をゴールに押し込みリーガエスパニョーラ最多得点レコード樹立!! さらに76分、チーム7点目を決め前人未到の40ゴールの大台に載せることに成功。リーガ得点ランキング2位のメッシに9ゴールの大差をつけブッチギリで得点王に輝いている。
4年連続ベスト16止まりだったUEFAチャンピオンズリーグ。2010/2011シーズンはついにその呪縛から解き放たれ決戦トーナメント1回戦突破を果たす。2010年9月15日のグループステージ第1節vsアヤックス戦、9月28日の第2節vsオセール戦は無得点に終わるが、10月19日の第3節vsミラン戦13分にFKから先制点を挙げCR7はUCL今シーズン初得点を記録。直後に電光石火のドリブルでサイドを切り崩しクロスからエジルのゴールをアシスト。レアルの2点すべてに絡む活躍をした。11月23日の第5節vsアヤックス戦でレアルマドリードメンバーは今季初となるブルーのサードユニフォームを着てアヤックスを4-0で圧倒。クリロナは2ゴールを奪いレアル54試合目に節目の50ゴールを達成した。12月8日の最終戦vsオセール戦で1得点1アシストをマーク。UCLグループステージ6試合で4得点を挙げた。決戦トーナメント1回戦では、昨シーズン辛酸をなめたリヨンを撃破。4-0でトッテナムを粉砕した4月5日の準々決勝1stレグ87分にカカのパスを受けたクリスティアーノ・ロナウドのボレー炸裂。チーム4点目となるダメ押しゴールを決めスパーズの戦意喪失さる。今季2度目のUCL用サードユニフォームで挑んだ4月13日の準々決勝2ndレグvsトッテナム戦50分に決めた30メートルの先制ミドルが決勝点となり0-1で勝利。レアルはベスト4へ駒を進めた。準決勝の相手は宿敵バルセロナ。サンティアゴ・ベルナベウでのクアトロクラシコ第3戦、4月27日に行われたセミファイナル1stレグはメッシの2発により0-2で完敗。5月3日のクアトロクラシコ第4戦、準決勝2ndレグは1-1のドロー。CR7のUEFAチャンピオンズリーグ2010/2011シーズンはここで幕を下ろす。
レアル・マドリード 10-11ホームユニフォーム レアル・マドリード 10-11アウェイユニフォーム レアル・マドリード 10-11UCLサードユニフォーム
●2011/2012シーズン レアル・マドリード所属。背番号7。 バルセロナと世界最高峰の戦いを制しリーガのタイトルを奪還を狙うマドリー。今シーズン初の公式戦、スペインスーパーカップはいきなりのクラシコ。UCL準決勝以来3ヶ月ぶりのバルセロナとの対戦となった。2011年8月14日に本拠地でバルサを迎え撃った1stレグは2-2のドロー。8月17日の2ndレグ20分に、ベンゼマのシュートをクリスティアーノ・ロナウドがコースを変えスコアを1-1とする同点ゴール!! その後、両チーム1点ずつを加えたが、メッシに3点目を決められスーパーカップ奪取に失敗した。
スペイン選手会のストライキによりリーガエスパニョーラ第1節はキャンセルされ、実質的開幕戦となった8月28日の第2節で全身黒の11-12アウェイユニフォームを着てサラゴサを圧倒。6-0で大勝する。この試合でクリスティアーノ・ロナウドは24分に先制点、71分にクロスに合わせチーム4点目、86分にカカのアシストを受けチーム6点目を決め、マドリー移籍後通算9回目のハットトリック達成した。この試合の1点目はマドリディスタとして通算100ゴール目となる節目のゴールである。9月24日の第6節vsバジェカーノ戦で、再びハットトリック達成。10月22日の第9節vsマラガ戦では敵地で23分、28分、38分と15分間に立て続けに3度ゴールネットを揺らしゴールマシンと化す。
グループDに入り、アヤックス、リヨン、ディナモ・ザグレブと対戦することになったUEFAチャンピオンズリーグ2011/2011シーズン。9月27日のグループステージ第2節vsアヤックス戦26分に、カカ、エジル、ベンゼマとの見事なコンビネーションからクリスティアーノ・ロナウドが先制弾を叩き込み3-0勝利の口火を切った。11月2日の第4節は試合巧者のリヨンとスタッド・ゲルランで対戦。24分にゴール正面で得たFKをドライブシュートを放ち先制。69分には自ら得たPKをゴールど真ん中に叩き込んでドブレーテを記録した。
レアル・マドリード 11-12ホームユニフォーム レアル・マドリード 11-12アウェイユニフォーム レアル・マドリード 11-12UCLサードユニフォーム
リエルセ10/11GKユニフォーム川島永嗣ネームナンバー入りユニフォームの海外直輸入に
フットボールプラスが成功!! このエントリーを書きながら「川島永嗣 リエルセ」
「リエルセ ユニフォーム」でググって見たが、検索にヒットしたサッカーショップは皆無。
どうやら日本で一番早い販売開始のようである。当の川島、開幕からリエルセのゴールを
守っているが、チームは4連敗と最下位と調子はいまひとつ。しかしながらリエルセの
2010/2011シーズンは始まったばかり。今後の躍進に期待!!
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